n268 すみだ北斎美術館

東京都(Tokyo-To)
2017/05/28 Sun.  


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♪「ウィーピングウィロー」S.Joplin
オルゴール バージョンです♪

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すみだ北斎美術館

すみだ北斎美術館


すみだ 北斎 美術館



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No.n268 すみだ北斎美術館
No.n268 SUMIDA Hokusai art museum

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 33 pieces/GreenSeason
♪=ウィーピングウィロー / S.Joplin
◆葛飾北斎
◆すみだと北斎 ゆかりの地探訪
◆習作の時代 浮世絵界にデビュー
◆宗理様式の時代 江戸リンパの世界へ
◆読本挿絵の時代 人気イラストレーターとして
◆絵手本の時代 「北斎漫画」の誕生
◇美術館
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インフォメーション

所在地=〒130-0014 東京都墨田区亀沢 2-7-2
TEL = 03-6658-8936 (9:30~17:30 休館日を除く)
開館時間= 9:00~17:30(入館は閉館の30分前まで)
休館日=毎週月曜日(祝日の場合はその翌平日)、年末年始(12/29~1/1)
.     臨時休館あり。
料金=一般:400円、高校生・大学生・専門学校生、65歳以上:300円
駐車場= なし
交通アクセス
都営地下鉄大江戸線=『両国』えきA3出口より徒歩5分
JR総武線=『両国』駅 東口より徒歩9分
都バス『都営両国駅前』より徒歩5分
墨田区内循環バス『すみだ北斎美術館前停留所』からすぐ
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すみだ北斎美術館に行きました。
美術館には珍しく、常設会場は一部を除き
撮影が出来たので、結構たくさん写真が撮れました。
(説明文は、冊子、パネルなどを引用)
両国国技館周辺は、大相撲の千秋楽で賑わっていました。







1)すみだと北斎

 葛飾北斎(1760~1849)は、現在の墨田区に生まれました。およそ90年の生涯のうち、90回以上も引っ越しをしたといわれますが、そのほとんどを「すみだ」で過ごしながら、多くの名作を残しました。作品の中には、両国橋や三囲神社、牛嶋神社など、当時のすみだの景色を描いたものがみられます。またすみだに住んでいた多くの文化人とも交流があり、その関係の中から生まれた作品も残されています。
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家系図








トークフリーデー








常設展示室でのお願い








デジタル解説

タッチしたり、スワイプしたり、検索したり、
大型モニターで解説を見ます。







1枚1枚が北斎の”絵”です



2)習作の時代
北斎は本所割下水付近で生まれ、幼名は時太郎のちに鉄蔵といったといわれています。6歳」から絵を描き始め、12歳ころには貸本屋で働いたとされ、14歳ころに版木彫りの仕事をしていました。安永7年(1778)に役者絵で人気を博していた勝川春章に入門し、翌年には「勝川春朗(しゅんろう)」の画号で浮世絵界にデビューします。この時代は勝川派の絵師として役者絵や黄表紙(大人向けの絵が中心の読み物)の挿絵などを描いていましたが、その他にも幅広い題材の作品を発表しています。
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釣竿を持つ子と亀を持つ子
天明年間(1781~89)頃、錦絵 中判

北斎は春郎期に子供絵を何図か描いていますが、
これはその中の一つです。材木に座って釣竿を持つ
子供と、亀を持つ子供が何やら話をしている様子です。
芥子坊と呼ばれる子供の髪形や腹当てを着ている様子
など、江戸時代の子どもの風俗を伝えています。
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習作の時代








仁和嘉狂言 三月 花すもふ
寛政初期(1790~92)頃、錦絵 中判

1月から12月までで構成された吉原の俄(仁和嘉)狂言を
月ごとに描いたシリーズの1図で、現在のところ13図が確認
されています。吉原は浅草の北方にあった遊郭街で、客寄せ
のために様々な行事や祭りが催されました。俄狂言はその
一つで、毎年8月中旬から9月中旬に吉原の芸者達が扮装をし
街頭で踊りました。踊り手を生き生きと描いており、春郎時代
後期の美人図として評価の高い作品です。
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習作の時代








個別のモニターで体験しながら
北斎を学べます。


3)宗理様式の時代
師匠の春章が亡くなると北斎は勝川派を去り、寛政6年(1794)新しく「宗理」の画号を用いて江戸琳派の頭領となります。江戸琳派は、俵屋宗達、尾形光琳が京都で築いた琳派様式に影響を受けて江戸で誕生しました。この時期には独自の宗理様式も完成させます。狂歌の世界とも深く関わり、多くの摺物や狂歌絵本の挿絵を描きました。寛政10年(1798)、今度は「北斎辰政」を名乗って琳派から独立し、今後どの流派にも属さないことを宣言しました。
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あづま与五郎 残雪
伊達与作せきの小万 夕照
享和年間(1801~04)頃 錦絵 中判二丁掛

ピーター・モース コレクション 区登録有形文化財(絵画)






風流なくてななくせ 遠眼鏡
享和年間(1801~04)錦絵 大判/神戸市立博物館蔵



4)読本挿絵の時代
文化年間(1804~1818)に入ると、北斎は読本挿絵の制作を精力的に行います。読本挿絵は基本的に墨色が使われますが、薄墨や濃墨も用いられることがあります。北斎は墨の濃淡を利用した奥行きのある空間表現、奇抜な構図などで読本挿絵の芸術性を飛躍的に高めました。また、この時期には陰影表現が特徴的な洋風風景版画も制作しました。肉筆画も多く残し、最も多作な最晩年に次ぐ制作数があります。「葛飾北斎」や「戴斗」の画号が登場するのもこの時期です。
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読本挿絵の時代


新板浮世絵浅草金龍山図
文化中期(1809~13)頃 錦絵 大判
ピーター・モースコレクション/区指定有形文化財(絵画)








潮干狩り図








伝神開手 北斎漫画
文化11~明治11年(1814~78)/絵手本 半紙本15冊



5)絵手本の時代
この時期には門人が増え、また北斎の絵を学ぶ人も全国にいたため、北斎は絵手本の制作に情熱を注ぎました。現在、「ホクサイ・スケッチ」の名で世界的に知られる『北斎漫画』の制作もこの時期に始められました。北斎の絵手本は眺めるだけでなく、工芸品の図案集としても使われました。絵手本以外の作品としては、文政年間(1818~1830)に描いた錦絵の鳥俯瞰図などがあります。「為一(いいつ)」の号を使い始めた文政3年(1820)から同5年(1822)にかけては摺物の制作が増えました。
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6)錦絵の時代

この時期には「富嶽三十六景」をはじめとする有名な錦絵の名作が多く生み出されました。従来、浮世絵には風景画と称されるジャンルはありませんでしたが、「富嶽三十六景」の大流行により、浮世絵に風景画という新しいジャンルが確立されたことは、北斎の偉大な業績の一つです。「絵手本の時代」には洋風表現を大胆に使用した作例もありましたが、この時代にはより洗練された方法で洋風表現を使い、新しい表現を自分のものとして消化しています。
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版画「冨嶽 三十六景 神奈川沖浪裏」
天保2年(1831)頃/錦絵/大判




北斎の傑作として最も有名な版画の一つですね。
- 版画摺りに関する展示がありました -

輪郭線(主版)を摺る

空の色を摺る

船の色を摺る

空のぼかしを摺る

波の色を摺る

・・・1枚の絵を摺るのに、大変な手間暇がかかりますね。

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富嶽三十六景 凱風快晴
天保2年(1831)頃 錦絵/大判



7)肉筆画の時代

天保5年(1834)刊行の、『富嶽百景』で北斎は、百数十歳まで努力すれば生きているような絵が描けるだろうと記しました。この時期は「卍」の画号を用い始めたほか、肉筆画に精力を注ぎ、題材も風俗画から和漢の故事を取り上げた作品や宗教画等へと大きく変化します。また、絵を描く人々のために作画技法や絵の具の調合法を記した絵手本なども刊行しました。嘉永2年(1849)、病を得た北斎は、なおも真の絵師となることを望みましたが、ついに90年の生涯を終えました。
*




北斎のアトリエ




北斎のアトリエ

・・・等身大でとてもリアルです!・・・

北斎は84歳の頃、区内 榛(はんのき)馬場に娘の阿栄(おえい)と
共に住んでいました。その様子を門人の露木為一が絵に残して
います。それを元に再現した模型で、北斎は炬燵に半分はいり
ながら熱心に絵を描き、阿栄はその様子を傍らで見守っています。







娘の阿栄(おえい)

三女阿栄(おえい)は 南沢等明に嫁ぐも、離縁。
応為 と号し自身も美人画などを描きました。







北斎

幼名 時太郎、のちに鉄蔵。
幕府の御用鏡師、中島伊勢の養子となりますが、
のちに長男に家督を譲り、画道に専念します。

赤穂浪士討ち入りの際、吉良上野介を守り討たれた
家老、小林平八郎は母方の曽祖父









 北斎は84歳の頃、区内の榛(はんのき)馬場に娘の阿栄(おえい)とともに棲んでいました。その様子を門人の露木為一が絵に残しています。このアトリエはそれを元に再現した模型です。北斎は炬燵に半分入りながら熱心に絵を描き、阿栄はその様子を傍らで見守っています。北斎を訪ねた人の話では、ゴミが散らかっていても父娘は意に介さず、その中で平然と絵を描いていたと伝わっています。
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紙を抑えた手に、ぬくもりを感じます。



スカイツリー

休憩所にスカイツリーがすっぽり入って見える三角窓がありました。





公園




すみだ北斎美術館近隣の公園




楽しそう!






両国周辺




帰り道で見かけた力士。

お疲れ様です。





この日は千秋楽。これから白鵬の優勝パレードが行われるので
国技館周辺は大勢の人がその時を待っていました。





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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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パネル等を参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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