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住所=福島県いわき市常磐湯本町向田3番地の1 電話=0246-42-3155 / FAX=0246-42-3157 入館料:一般=660円 中・高・大生=440円 小学生=330円 休館日:毎月第3火曜日(祝翌日) 1月1日 開館時間: 9:00~17:00 駐車場=あり |
電車:『湯本』駅より徒歩10分⇒いわき市石炭化・石館 --------------- 車:いわき湯本ICより約10分⇒いわき市石炭化石館 |
石炭の父片寄平蔵は文化10年(1813)石城郡大森村に生まれた。若い頃から進取の気性に富み、石炭が艦の動力であることを知った平蔵はその将来性を洞察し安政2年弥勒沢で待望の石炭の露頭を発見、湯長谷藩の許可を得て石炭採掘業を開始した。横浜開港するや貿易商を構え石炭、紙、木材等取扱い販路を拡張し、貿易発展に尽くすと共に常磐炭を初めて京浜地区に紹介した先覚者であった。 石炭の父と呼称される所以でもある。 |
石炭産業の最盛期、本州最大の埋蔵量をもった常磐炭田には130余りの炭鉱があって、日本の近代産業を支え、特に戦後の経済復興には大きく貢献しました。この石炭は、今からおよそ3,500万年前の古第三紀漸新世に栄えた植物の化石です。阿武隈山地の東側にできた大きな入江に、多量の樹木が倒れ込み、、流され、層状に埋められてできたものです。今でも地下には約11億トンも眠っており、この莫大な石炭は未来に向かって新しい出番を待ち続けています。 |
いわき市石炭・化石館は、常磐炭田の採炭の歴史と、市内で発掘された化石や、地球の歴史を物語る諸外国の化石資料を展示する施設です。 |
化石とは、骨や殻、歯など生物の遺骸が化石したものだけではありません。 足跡や巣穴、糞など、かつて存在した生物が生活していた様子を知ることができるものも化石の一つです。 |
いわき市内では高倉山層群という古代の地層があり、エンドブス(三葉虫)ほか、腕足類、サンゴ、オウムガイほか貴重な化石が多数見つかっています。 特にこの地層から見つかる化石が重要なのは、ペルム紀(二畳紀)という古生代最後の時代の生物であり、エンドブスなどは絶滅する直前の三葉虫化石として重要な資料となっています。 |
三葉虫といえばアンモナイトとともに化石の代名詞的な存在です。三葉虫という名前は、体の中央にある軸部と、その両側の部分で三カ所に分かれていて、それらは葉が三枚重なったかのように見えることから、【三葉虫Tnlobite=tri(三つの)+lob(葉、房)+ite(石)】という意味で名づけられました。 三葉虫の大きさは、0.5~100cmとさまざまで、1500属以上約1万種が知られています。 三葉虫は、現生のカブトガニ類と近いという意見もあります。それは、カブトガニ類は幼生時に「三葉虫期」と呼ばれる三葉虫に似た形態の時期があるためです。 |
アンモナイトが巻貝の仲間だと思っている人も多いのですが、実際には頭足類というイカやタコの仲間です。アンモナイトは世界中で約1万種確認されていて、いわき市からは約20種が採集されています。 |
アンモナイトは幼殻を持って生まれてkて、成長するにつれて殻を部屋で区切りながら大きくしていきます。殻の一番外側には住房と呼ばれる体を入れる部屋があります。残りの部屋にはガスや海水を出し入れして海中を浮いたり沈んだりするのに使っていました。 |
現在世界全体では約4000種の鉱物があり、わが国ではそのうち約1100種が、そしてむいわき市には約200種が確認されています。これは日本の市町村では最高の数字といわれています。 |
いわき地域に見られる古生代ペルム紀(二畳紀)の地層には、暖かい地域に住んでいたと考えられる生物種が多く含まれています。さらに、これらの地層は陸地からさほど離れていない海底に積もったものです。それらと、プレートの動きを合わせて考えるといわき地域の古生代の地層が積もった場所は、赤道近くにあった陸地の周辺に堆積したものと考えられます。 |
古生代の代表的示準化石である三葉虫は、クモなどに近い節足動物の仲間です。古生代カンブリア紀(約6億年前)に出現し、オルドビス期に大繁栄を遂げました。その後、次第に衰退し、ペルム紀(二畳紀)の終わり2億5000万年前に絶滅しました。いわきの高倉山から見つかる三葉虫は、絶滅寸前の貴重な種類です。頭や尻尾だけのものがあります。これは成長のために脱皮した殻が化石となったものと考えられています。 |
炭鉱、特に坑内での仕事は常に危険を伴うものであり、昔から炭鉱にかかわる人々は、山神社(ヤマの神)を信仰してきました。また、炭鉱関連の使節には坑内・坑外の各場所に神棚が祀られ、常に安全を祈願し意識することが、働く人々の心の支えにもなっていました。かつては、格坑に山神社がありましたが、炭鉱閉山後は湯本山神社にまとめられました。 |
入山採炭(株)に世話どころが開設され、担当係員2名が配置されたのは大正13年のことです。炭住区には一つずつの世話どころが置かれ、区内の従業員及びその家族の世話活動を昼夜を通じて行っていました。 世話所には労務係の担当区長と日勤と夜勤の係員が一人ずつ常勤しており、毎月の賃金支払いもここで行い、生活指導の面では従業員からの相談にお応ずるばかりでなく世話所から積極的に働きかけることも多くありました。その他、伝染病の予防、家庭不和の仲裁、青少年の補導、苦情処理など多方面にわたっていました。 また、毎月初め(場合によっては随時)に開かれる世話人会(隣組長の会)において、常に住宅管理の指導にもあたっていました。このような世話活動によって、従業員が安心して就業できるように配慮されていたのは、世話所としての重要な役割である就業督励に結びつくものでした。 |
モニュメント 『ほるる』の駐車場横に展示されていた D51946号
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