
2021/2/27 に「江東区・中川舟番所資料館」で開催していた特別展『渋沢栄一と江東』を訪問しました。
写真撮影NGでレポートはございませんが、私の身の回りにも渋沢栄一さんの関係した会社や公共機関が、たくさんあることを改めて知る、興味深い展示でした。 |
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No.c213 荒川砂町・水辺公園散歩
No.c213 Arakawa Enbankment walk
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo29pieces/GreenSeason
♪=ジ・エンターテイナー /S.Joplin
◆荒川ロックゲート
◆小松川閘門・中川案所跡
◆江東デルタ、防災ネットワーク
◆荒川の源流
◆清砂大橋・葛西橋・東西線
◆菜の花、寒緋桜
◇散歩・散策
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荒川ロックゲート周辺
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荒川砂町水辺公園インフォメーション
   
交通アクセス
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荒川ロックゲート周辺
   
1.小松川リバーステーション
| リバーステーションは、災害時の復旧活動に必要な資機材や、救援物資等の積み降ろしなどを行う大切な拠点として、また、平常時においては、荒川の舟運の復活を目指して整備されているものです。ここ小松川リバーステーションもその一つです。現在小松川リバーステーションでは、河川工事関係の資材の搬入・搬出や土砂の陸揚げ、防災訓練のほか、「荒川レガッタ」などのイベントにも利用されています。 |
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2.荒川ロックゲートと旧小松川閘門
| 昔から荒川流域は舟運が盛んでしたが、荒川放水路の完成後荒川と旧中川との水面の高さに差ができたため、船の往来ができるよう、水位調整機能を持った小松川閘門が昭和5年(1930)に造られました。その後昭和50年代に閉鎖されましたが、川を利用した災害復旧活動が見直されるようになり、新たに平成17年(2005)に荒川ロックゲートが完成しました。これにより荒川と旧中川・隅田川間が航行できるようになり、水上のネットワークが復活し、広域防災の一助となっています。 |
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3.新川の役割
| 江戸初期に江戸の町へ物資を輸送する水路を確保するために、隅田川と中川を結ぶ小名木川の延長線上に、中川と江戸川を結ぶ新川が江戸幕府によって開削されました。当初は行徳の塩を運ぶ目的でつくられましたが、その後、利根川、江戸川、新川、小名木川を通って様々な物資が輸送されることとなり、大いに賑わいました。新川開削で発生した土砂は周辺の湿地の埋め立てに使われ新田開発が行われました。小名木川・新川開削から江戸末期まで続けられた埋め立てにより、陸地が増え海岸線は3kmほど南に移動しました。 |
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4.中川番所跡
| 寛文元年(1661)に幕府は、江戸に出入りする船を取り締まるために、中川・小名木川・船堀川の交差する所に船の番所を設けました。野田の醤油、銚子の干鰯のほか、穀物・酒・小間物など各地の産物はおもに舟を利用して江戸に運ばれました。中川番所は、利根川や江戸川を通じて江戸と関東を結ぶ要所に位置し、川の関所となっていましたが、明治2年(1869)に廃止されました。現在この番所跡地より北に50mほど離れた場所に、中川船番所資料館が建てられています。 |
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荒川ロックゲート
   
| ロックゲート (= 閘門)は、水位の異なる二つの河川をつなぐための施設で、船が乗る「エレベーター」のような役割を果たします。荒川と旧中川は「水位差が最大で約3.1m」にもなりますが、荒川ロックゲートが完成することにより結ばれ、荒川と隅田川に挟まれた“江東デルタ地帯”への水上交通が両方向から確保できるようになりました。 |
ロックゲートの特徴
・震災時、船を使った復旧支援活動を行うため、閘門としては初めて阪神・淡路大震災クラスでも耐えられる構造になっています。
・震災時、閘門内をいち早く船舶が通過できるよう、日本最速のゲート開閉速度です。 |
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船の通過の仕方
   
1→荒川側ゲートから船を閘門内に入れます。
2→荒川側ゲートを閉じます。
3→閘門内の水面を旧中川の水面と同じ高さに調整します。
4→旧中川側ゲートを開け船を閘門から出します。 |
通過可能な船の大きさ
最大長 55m、最大幅 4.5m、最大高 4.5m
の船が通過できます。
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江東デルタ地域の新しい防災ネットワーク
   
荒川ロックゲートの完成により、災害時においては、救援物資や復旧資材の運搬、被災者の救出など災害復旧活動の支援が可能となり、広域的な防災ネットワークとして活躍します。
また、平常時においても、プレジャーボートでの水上観光やカヌー、レガッタ、Eボートでの舟遊びなど、水辺ならではの楽しさが広がり、、川と川を通じた新たな交流が期待されます。 |
* 災害時は水上交通が活躍します
   
| 阪神・淡路大震災では、ビルや高架橋の倒壊などにより鉄道や道路といった陸上交通に大きな被害が生じました。その際、地震直後の物資や人員の輸送などの災害復旧活動において水上交通は大きな役割を果たしました。 |
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日常は水上観光、水面利用の広がりが期待できます
   
水上観光、水上でのカヌー遊び、渋滞のない水上交通
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荒川ロックゲート
   
向こう側が中川側ゲート
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荒川ロックゲート周辺の変遷
   
江戸期
江戸時代の荒川/小名木川と舟運で賑わう東の関所
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明治・大正・昭和期
放水路の建設/閘門の設置から閉鎖まで
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現在
荒川の水位より低い東京の市街地/荒川ロックゲート周辺
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荒川の水のつながり
   
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荒川の水のつながり
   
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荒川の源流
   
| 荒川は、甲斐・武蔵・信濃の三国にまたがる標高2,475mの甲武信ケ岳を源とし、奥秩父の険しい山々に深い谷をきざみ、、東に流れます。 |
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五つのダム
   
| 上流の山地では、下流域を洪水から守るとともに、水資源の開発を行うため、二瀬ダム・浦山ダム・滝沢ダム・合角(がっかく)ダム・有間ダムがあります。ダムは河川の上流部に水を貯め、人間社会の必要に応じて水循環の一部をコントロールします。洪水の時は流入する水の一部を貯めて下流の洪水量を少なくし、渇水の時は貯水池の水を放流して下流で必要な水を補給します。 |
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源流
   
かつてここは、荒川の 上下流を結ぶ舟運の要
閘門は過去と現在を つなぐ舟の通り道、
そして未来へと続く 源流となる
石碑
| 荒川の水源地には、滝沢ダムという新しいダムがあり、この石碑は、滝沢ダムの湖底となる場所から採取された石を用いています。荒川は、利水面で上流と下流の結びつきが強い河川です。その上流と下流を結ぶシンボルとしてこの石碑を設置するものです。この場所は荒川と江東デルタ地帯を結ぶ機能(ロックゲート)や水運と陸運を結ぶ機能や人と水上交通を結ぶ機能(リバーステーション)があり、この石碑が様々な事柄を結び付けるシンボルとなります。 |
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荒川ロックゲート
   
閘室開放時間
8:45~16:30
(但し、毎月第一日曜日と年末年始は開放していません)
※16:30に施錠します。
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荒川ロックゲート
   
左上部が旧中川
右下部は閘門内
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荒川の緊急用船着場等の
自己責任を基本として利用ルール
   
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リバーステーション(船着場)
   
緊急時は災害復旧の拠点となります。
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平常時は水上バスの利用を促進すます。
河川工事の資材運搬基地になります。
物流の基地となります。 |
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葛西橋
   
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川原の菜の花畑
   
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菜の花
   
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清砂大橋と東西線
   
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地下鉄 東西線
   
東西線の高架下で引き返しました。
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川原で咲いていた花
   
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寒緋桜
   
小松川千本桜に戻ると
寒緋桜が咲いていました。
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