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No.c305 東京駅と甲斐荘楠音展
No.c305 Tokyo Station & Kainosyo Tadaoto Art Exhibition
Tokyo-Ton /Beautiful Japan
Photo 22 pieces/GreenSeason
◆東京ステーションギャラりー
◆甲斐荘楠音
◆東京駅丸の内駅舎保存・復元工事の記録
◆3階回廊ブラケット(月の満ち欠け)
◆南北ドームの装飾レリーフ
◆駅舎のドーム天井と柱
◆動輪の広場
◇東京ステーションミュージアム、甲斐荘楠音展
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甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと)の全貌 2023年 7/1~8/27
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東京ステーションギャラリー『甲斐荘楠音展』
インフォメーション
   
所在地=〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1
. JR東京駅丸の内北口改札前
TEL=03-3212-2485
開館期間=2023年7月1日~8月27日
開館時間=10:00~18:00 金曜日は20:00まで 入館は閉館30分前まで
休館日=月曜日 (※7/17,8/17、8/21は開館)、7/18(火)
料金:一般:1,400円、高校・大学生:1,200円、中学生以下:無料 |
交通アクセス
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撮影はできませんので、ここではポスターのみです。
展示作品は、大正時代の美しい女性の絵と、女装した自画像などが印象的でした。
昭和14年頃からの時代劇映画ポスターと、その主役が着ていた実物衣裳が一部屋に、数十点展示されていました。後半には知った女優さんの名前もみつけ、興味深く見学しました。 |
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甲斐荘楠音【かいのしょう ただおと】(1894~1978)
   
大正画壇の異才・全貌にせまる回顧展!
大正期から昭和初期にかけて日本画家として活動し、革新的な日本画表現を世に問うた「国画創作協会」の一員として意欲的な作品を次々と発表しました。しかし、戦前の画壇で高い評価を受けるも1940年頃に画業を中断し映画業界に転身。長らくその仕事の全貌が顧みられることはありませんでした。
本展は1997年以降26年ぶり、東京の美術館では初となる本格的な甲斐荘の回顧展です。画家としてのみならず、映画人として、また演劇に通じた趣味人として、様々な芸術を越境する「複雑かつ多面的な個性をもった表現者」として甲斐荘のイメージをアップデートします。 |
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甲斐荘楠音が携わった時代劇映画
| 甲斐荘楠音は衣裳・風俗考証家として、日本の時代劇映画の黄金期を支えました。本展には、東映京都撮影所に保管されていた往年の映画衣裳の数々が展示されますが、その制作には甲斐荘が携わっています。映画監督・溝口健二をして「甲斐荘君が手伝ってくれると品が良くなる」と言わしめた考証家としての手腕は、伊藤大輔や松田定次ら時代劇映画の名監督たちから厚い信頼を得ていました。名優・市川右太衛門が袖を通した絢爛豪華な衣裳をはじめ、数々の映画資料が甲斐荘の見識や感性を物語ってくれます。 |
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次回 開催予定
春陽会誕生100年
それぞれの闘い
   
岸田劉生
中川一政から
岡鹿之助へ
2023年9/16~11/12
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 東京駅丸の内駅舎保存・復元工事の記録
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東京駅丸の内駅舎保存・復元工事の記録
   
戦後立て嘉永による取り壊しの危機に幾度となくさらされてきた東京駅。その保存問題は、日本建築が句会からの保存要望や、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」を中心とする地道な保存運動が起こるなど、大きな社会的テーマとなっていました。こうした中、1999(平成11)年に当時の東京都知事とJR東日本社長との間で、駅舎の復元について基本的な合意がなされ、保存が決定します。さらに2003(平成1)年5月には、駅舎が国の重要文化財に指定されました。
JR東日本では2002(平成14)年から、社内にプロジェクトを発足させ、外部の有識者を含む専門員会での検討も重ねて、保存・復元の基本理念を取りまとめます。その中で、丸の内駅舎を使い続けるための設計方針として、
・山損すると理事鳴を最大限保存に努める。
・復元は推測を禁止し、信ぴょう性のある根拠に寄ることを明確にする
・創建時以降の回収や補修については、意匠的・技術的にすぐれたもの は保存・活用する
など、重要文化財に手を加える際の基本ルールを定めました。
本工事は、駅の営業を留めることなく行われ、プロ軸と発足からほぼ10年の歳月をかけて完了しました。幸治の過程では、失われていた創建時の工夫や苦労が明らかにされていきました。2012(平成24)年10月1日にグランドオープンの日を迎えた東京駅丸の内駅舎は、現在、駅という役割だけでなく、観光スポットとして人々に親しまれています。本展示を通して、保存・復元工事の意義を感じていただければ幸いです。 |
   
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3階回廊ブラケット(月の満ち欠け)
1914(対象3)年頃(創建時)
   
| 創建時、駅舎南北ドームの3階回廊の支えとして、鉄製三角形のブラケット(持ち送り)がつけられていました。そのデザインは文献によって、満月から新月へと月の満ち欠けを表すように、鉄板に真中をくりぬいていたということがわかっていましたが、戦災復興工事で撤去されたため、具体的なデザインは不明でした。保存・復元工事によって、南ドーム部の下屋根解体中に、鉄骨架構の一部として転用されていたブラケット10体が発見され、新月以外のデザインが明らかになりました。現在は復元されたブラケットが、北面の新月から時計回りに北東面=三日月、東面=上弦の月、南東面=十三夜、南面=望月、南西面=立待月、西面=下弦の月、北西面=二十六夜(三日月の反転)と配置されています。 |
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南北ドームの装飾レリーフ
   
上) 菱の実 .
下) エッグ&ダート
1914(対象3)年頃(創建時)
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南北ドームの装飾レリーフ
   
ロゼット
1914(大正3)年頃(創建時)
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第8号階段手すり
1914(対象3)年頃(創建時)
   
| 第8号階段手摺は、駅舎南端の南ウィング1階から2階の箇所、創建時に食堂があった場所にそのまま残存していました。旧第7号階段の手すり同様に、創建時の青図「階段手摺変更図」にもそのデザインが描かれています。 |
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旧第7号階段手すり
1914(大正3)年頃(創建時)
   
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干支のレリーフ石膏原型
   
丑 / 寅
未 / 申
| 東京駅丸の内駅舎の南北ドームは八角形で、天井の各コーナーには方位にしたがい十二支のうち八支(丑・寅・辰・巳・未・申・戌、亥)の石膏彫刻が、ホールを見下ろすように取り付けられていました。これらの干支レリーフは、1945年の空襲により焼失したため、今回の保存・復元工事では、古写真と文献をもとに試作が重ねられ復原されました。レリーフの復原デザインにあたり、東京芸術大学美術学部彫刻科の深井隆教授が美術監修を務めました。 |
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干支のレリーフ石膏原型
   
辰 / 巳
戌 / 亥
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構造レンガ
   
1914年の創建当時、鉄骨レンガ造りの3階建てでした。戦後、2階建てに復興されましたが、2007年から2012年にかけて行われた駅舎保存・復原工事により、失われた3階部分が復原されました。
駅舎北口ドームに位置する東京ステーションギャラリーは、1階がエントランス、2・3階が展示室という造りで、館内1・2階では可能な限り、駅舎創建当時の構造を露わにしています。そのため構造レンガや鉄骨がむき出しになっています。
なお、駅舎には構造レンガとは別に「化粧レンガ」が外壁用に張られています。 |
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駅舎のドーム天井と柱
   
| 保存・復原工事により創刑事の3階建てとなり、南北のドーム天井も創建時の装飾が忠実に再現され、鷲や鳳凰、動輪、兜などをモチーフにした石膏彫刻が壮麗な雰囲気を醸し出しています。しかし復原前の天井は写真のようにシンプルで名デザインでした。これは戦後の復興工事で資材や資金が不足する中、戦闘機用にとってあったジュラルミンに白いペンキを塗り造られたのです。復興工事完了の1947年から60年もの間、駅を行き交う人を見守ってきた天井は復原工事により取り除かれましたが、戦災復興工事のシンボルとして、記憶の継承のため、ドームの床にそのデザインが転写されました。当館2階回廊からはその天井より床をよく見ることができますが、この床にも駅舎がたどった歴史が刻まれています。 |
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北口ドームと今日の空
   
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今日のお供、ペネロペです。
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駅前の打ち水システム
   
・垣の9:00~17:00を基本に実施しています。
・このシステムは、深さ5mm程度の水を張り、夏場の
路面温度の上昇を抑え、安らぎと清涼感のある広場
とすることを目的としています。
・環境に配慮するために、水道水をろ過しながら
繰り返し利用しています。
<ご注意>
足元に注意して御通行ください。
この水は飲めません。 |
-JR東日本東京駅長-
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打ち水システムで水浴びする子供達
   
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動輪の広場
   
丸の内南口、地下1階の丸の内地下南口改札前にある動輪の広場
かつて東海道線を走っていたC62-15型蒸気機関車の動輪
(直径1.75m)が3つ並んでシンボルになっています。
銀の鈴と共に東京駅を代表する
待ち合わせスポットになっています。
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