
正門
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No.c316 名勝 星渓園
No.c316 Scenic spot Seikeien
Saitama-Ken /Beautiful Japan
Photo 36 pieces/GreenSeason
◆星渓寮、茶室、袖振石、天柱石
◆績翠閣
◆松風庵
◆句碑、歌碑
◆竹井澹如(たけいたんじょ)
◆庭園、茶室、立礼席
◇庭園、熊谷市指定文化財、記念物、名勝
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インフォメーション
   
所在地=360-0046 埼玉県熊谷市鎌倉町32番地
開園時間=9:00~17:00 (11/1~2月末は16:00)
休園日=月曜日(休日の場合は翌日)12/27~1/4
料金:無料 施設利用の場合は有料
無料駐車場=6台あり。 |
交通アクセス
JR高崎線『熊谷』駅から徒歩18分
秩父線『上熊谷』駅から徒歩3分
国道17号線 本石2丁目交差点から約100m |
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星渓寮
   
庭園内にある3棟の手て物の中で中心劇建物であり、12畳半の一之間を中心に、二の間・全室・茶室(小間)・立礼席等があります。縁側には、月見台が置かれ、借系を活かし、より低塩ビとの調和が図られています。また、木造建築伸びと拡張の高さが感じられます。
面積:160.8㎡(約48.7坪) |
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星渓寮
   
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星渓寮
   
2022年7月27日に訪れた『じゅん散歩』の
高田純次さんの色紙がありました。
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星渓寮
   
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星渓寮 手水鉢
   
お茶室に入る前に 手を清める手水鉢
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星渓寮 立礼席からの庭園風景
   
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左 歌碑 鹿児島寿蔵
『熊谷草なくてかなはじと星池に植ゑて福布くしき花を咲かしむ』
   
| 平成31年(2019)3月、鹿児島寿蔵 熊谷草歌碑建立呼びかけ人によって熊谷草(クマガイソウ)の保存活動を顕彰するために建立されました。熊谷地域でのクマガイソウの保存は、1970年代後半から地元の愛好団体を 中心に始められ、昭和54年(1979)に熊谷草保存会が結成され、熊谷の各地に株を植栽し、花を咲かせるか活動を進めてきました。「星渓園」などへの植栽も続けられましたが、ついに根付かず保存会は平成26年(2014)に解散しました。アララギ派の歌人だった鹿児島寿蔵が星渓園を訪れた昭和55年(1980)5月、熊谷草の保存活動に思いを寄せてこの短歌を残しました。歌意は「熊谷草がなくてはならないと星渓園に熊谷草を植えてふくよかな花を咲かせている」であり、この歌は保存活動の励みになったといわれています。 |
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右の碑は↓
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右 句碑 松尾芭蕉
『春もやや気色ととのふ月と梅』
   
寛政4年(1972)に建立され、県内最古級と推定されます。
刻まれた句は、厳しい冬が過ぎ、徐々に春めいてくる早春の情趣を、月と梅の取り合わせで描き出している。芭蕉が好んだ画賛句の1つです。句出典は『薦獅子(こもじし)集』(元禄6年(1693)刊行)、『旅館日記』6年1月にあたる条に「梅月」と前言して出された芭蕉50歳の時の作品で、裏面には「太無」「秋瓜」の句と、熊谷を拠点として活躍した俳人「館鯉」「笑牛」「雪叩」の名が刻まれています。 |
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星渓寮 待合所
   
お茶解析に呼ばれた人が、待つ場所
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お茶室も躙り口から見せていただきましたが、写真を撮り忘れました。
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星渓寮 袖振石
   
加藤清正が朝鮮半島から持ち帰り、豊臣秀吉に献上された後、
大阪城に入った徳川家康から忍(おし)城主の松平忠吉(ただよし)
家康の四男が譲り受けその後、竹井家が保管したとされています。
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星渓寮 天柱石
   
袖振石同様に、加藤清正が朝鮮半島から持ち帰った石。
約30cm埋まっています。
天柱石は、星渓園に5本あり、このほか、斎藤紫石の石碑横に1本池の回廊に二本あります。 |
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星渓寮 お茶室に入る前に
体内の不純なものを置いてゆく場所
   
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星渓寮 井桁紋の瓦
   
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星渓寮
   
この垣根の中に 袖振石や天柱石があります。
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 績翠閣(せきすいかく)
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績翠閣(せきすいかく)
   
小さな展示場
創設者:竹井澹如(たけいたんじょ)
澹如は、天保10年(1839)群馬県甘楽郡南牧村羽沢の豪族市川家に生まれました。幼名は萬平(まんぺい)で、筆名などは幽谷(ゆうこく)と号しました。
慶応元年(1865)27歳の時熊谷宿の本陣をつとめた竹井家の当主となり、明治12年(1879)には、初代の県会議長をつとめました。その後、政府の要職などをすすめられるものの、終始一貫して熊谷地域のために貢献しました。
渋沢栄一ら経済人との交流、熊谷県庁の誘致、旧熊谷堤の修築と桜の植樹、養蚕業の振興、私立中学校の創設など多岐にわたり地域市民への貢献を果たし、大正元年(1912)8月に永眠されました。 |
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績翠閣 月見台
   
松風庵の北に位置し、当初は、昭和5年(1930)に澹如の長男の耕一郎氏が建てた高床式の建物です。和室と洋室によって構成された折衷型の建築様式で、南東側に月見台があり、庭園と玉の池を眺望でき、静かな情緒が味わえます。1階のギャラリーには星渓園や澹如等の資料が展示されています。
面積:72㎡〈約21.8坪〉 |
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績翠閣
   
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績翠閣 月見台
   
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十王供養塔
   
人間が死んで冥土にゆくと、初七日から四十九日迄の七日目ごと、百か日・一周忌・三周忌の10回にわたり、閻魔王を含む、10人の王に生前の罪を裁かれて、極楽に行くか、地獄に落ちるか決められると信じられてきました。
そこで、生前に、十王を供養して罪を軽くしてもらおうということで、このような供養塔ができました。
星渓寮庭の供養塔は四七日目に裁く五官王(普賢菩薩)が、生前の犯した人間の罪を天秤にかけて計っている様子が、えがかれています。
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〇十王信仰 インドの輪廻思想から
インドでは亡くなった人への供養として、亡くなった日から七日目ごとに7回の法要が行われました。7x7=49日が過ぎると使者は他の生を受けると考えられました。この49日の期間を中陰(ちゅういん)とか中有(ちゅうゆう)といいます。
〇中国に渡り
中国では道教の影響で十王信仰が出来上がり、3回供養日か増えました。十王は生前中の行いを審判し、本地仏は浄土へ導く仏様です。
〇日本に伝来して
日本ではさらに3日加わり、十三仏信仰が完成します。室町時代あたりから盛んになりました。 |
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庭園 玉の池
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庭園、玉の池
   
庭園には、様々な植物が植栽され、自然豊かな森を形成しています。約40個の庭石と、灯篭・層塔・十王供養塔など約20個の石造品があります。また星渓寮の前庭には、袖振石・天柱石があり、これらは文禄の役(1592~3年)に加藤清正が朝鮮から持ち帰ったもので、忍(おし)城主の松平忠吉が譲り受け、後に澹如が引き継いだものと伝えられています。
総面積:3,847㎡〈池の面積:1,020㎡〉 |
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庭園
   
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庭園
   
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玉の池の鴨
   
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あずまや
   
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あずまやと石燈籠
   
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玉の池
   
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句碑 山口青邨(やまぐちせいそん)
『夕紅葉鯉ハ浮くまま人去りぬ』
   
昭和57年(1982)10月に夏草埼玉県支部によって建立されました。
刻まれた句は、俳人の山口青邨が、昭和25年(1950)11月に星渓園を訪れた際に詠んだ句で、庭の中央にある「玉ノ池」の水面に映る夕紅葉と行き交う鯉の様子を情感込めて表現しています。山口青邨(1892~1988)は盛岡市生まれで、古河鉱業、農務省に勧めた後、東京大学教授となり鉱山学を担当しました。昭和22年(1947)、水原秋桜子らと「東大俳句会」を興し、高浜虚子の指導を受けて『ホトトギス』の代表的俳人として活躍しました。 |
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頭上の葉
今回、もみじ狩りにはフライングしました。
このページを公開する頃には
ちょうどいいかも。。
   
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「珪化木(けいかぼく)」の門
   
土砂に埋もれた樹木の細胞内や細胞壁に珪酸成分がしみ込み、膨大な年月をかけて樹木の原型のまま化石化したもの。
※ 珪化木は、植物の化石の一形態。
木化石とも呼ばれるように、古代に何らかの原因で土砂等に埋もれた樹木が、膨大な年月をかけ地層からかかる圧力により木の細胞組織の中にケイ素と酸素、水素の化合物であるケイ酸を含有した地下水が入り込むことによって、樹木が原型を変えずに二酸化ケイ素(シリカ)という物質に変化することで、石英や水晶などと同様に固くなり、化石化したものである。
保存状態が良いものは年輪や木の形まで保存される。石炭とほぼ同所的に出土することもあるが、珪化木はケイ素分を多く含んでいてかなり硬く、石炭採掘の際には厄介な障害ともなる。一部が石炭、または石炭に近い状態になっているものもあり、いわば「石炭になり損なった木」ともいえる。 |
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松風庵
   
2室から構成される庵室で、星渓寮と績翠閣との間に位置し、数寄屋の建物です。廊下の上部には梁が露出し、近代和風建築の粋が感じられます。また、前庭には燈篭が置かれ、落ち着いた和みの空間を醸し出しています。
面積:42.9㎡〈約13坪〉 |
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