
給桑籠
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No.c317 片倉シルク記念館
No.c317 Katakura Silk Memorial Museumu
Saitama-Ken /Beautiful Japan
Photo 25 pieces/GreenSeason
◆製糸工場
◆蜂の巣倉庫
◆選繭、煮繭
◆索緒・繰糸、小枠湿し
◆揚返し、糸捻り
◆括造り、荷造り
◇製糸工場、記念館、近代化産業遺産
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壮蚕飼育
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片倉シルク記念館 インフォメーション
   
所在地=〒360-0815 埼玉県熊谷市本石 2-135
電話=048-522-4316
開館時間= 10:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料= 無料
休館日=月・火曜日/
. 夏季休暇及び年末年始、臨時休業あり
. 臨時休業2023年11月3日4日。20日~23日 |
交通アクセス
| 電車 |
秩父鉄道 『上熊谷』駅より徒歩7分
JR高崎線 『熊谷』駅より徒歩15分 |
| 車 |
関越自動車 『花園』ICから15分
. 『東松山』ICから30分 |
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壮蚕飼育
壮蚕【そうさん】(3~5齢)期には、条桑【じょうそう】(枝付きの桑の葉)の
ままで、給桑【きゅうそう】(桑を蚕に与えること)します。
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この地は地元有志の三枝氏・青木氏及び柿原氏の三氏が、埼玉県の製糸業発展のため、共同出資により「幹原製糸場」を設立した場所です。明治40年、片倉工業株式会社が経営を引き継ぎ、その後、片倉工業最後の製糸工場「熊谷工場(旧称 石原工場)」として平成6年12月まで操業を続けました。
平成12年11月、この地は片倉シルク記念館と商業施設からなる複合施設 『片倉ラフィラチャー』としてオープンしました。フィラチャー【Filaturue】とは、英語で“製糸場”を意味し、かつてここが製糸工場であったことを記念して命名したものです。
当館は、かつて日本の基幹産業であった生糸と製糸業の足跡を、熊谷工場創業当時の木造倉庫内で、製糸工程・工場の歴史・従業員の生活等から、機械・パネルを通し見学して頂ける施設です。
「蔵造り倉庫」は熊谷工場の前身である三木原製糸場で明治32年には建築された木造二階建ての繭貯蔵庫です。 「蜂の巣倉庫」は、昭和11年に福島県郡山氏の製糸工場で建築され、昭和40年に熊谷工場に移築されたものです倉庫内は繭を貯蔵する竪穴が105個ある、蜂の巣に似た珍しい構造となっています。なお、当館は2007年11月近代化産業遺産に認定されました。 |
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蚕種
   
※ 説明パネルの画像がピンボケで、解読不能のため、Wikipediaから引用します。
| 蚕種【さんしゅ】は蚕【かいこ】の卵のことです。蚕蛾に産卵させた紙を蚕紙(蚕種紙)といい、蚕種製造業者により製造されました。養蚕農家は養蚕紙を購入、ふ化させて蚕を飼育し繭を生産しました。 |
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片倉シルク記念館
   
片倉シルク記念館は、片倉工業株式会社最後の製糸工場であった熊谷工場の繭倉庫を利用し、実際に工場で使われていた製糸機械や生糸ができるまでの過程、工場内での生活等を紹介しています。
片倉工業株式会社は、明治6年長野県諏訪郡川岸村(現 岡谷市)で10人繰りの座繰製糸から始まりました。蚕種の研究と繰糸機の改良に貢献し、朝鮮半島を含め最大62カ所の製糸工場まで拡大し、良質な生糸を世界中の人太へ届けました。 |
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絹が伝える故郷の歴史
   
昭和14年に、富岡製糸場を譲り受け、昭和62年まで操業しました。富岡製糸場の歴史的価値を認識し、操業停止後は、そこで培われた精神を熊谷工場へ引き継ぎ、建物については保全管理に努めました。
生糸需要の衰退により、平成6年最後の工場となった熊谷工場が閉鎖し、121年に及ぶ製糸業の歴史を終えることとなりました。当施設は、日本の近代化を築きあげた製糸業の歴史やその役割、地域との関わりや先人たちが残した足跡を末永く保存し、後世に伝え続けます。 |
平成19年「近代化産業遺産」認定
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当時の蔵出しの様子
   
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片倉シルク記念館
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在りし日の熊谷工場のジオラマ
   
平成6年12月31日、熊谷工場は全ての業務を終えました。
この模型は熊谷工場が操業を休止する直前の姿を 1/200 のスケールで再現しています。
中央の工場群をはじめ、繭を貯蔵する多数の繭倉庫、製糸業に欠かせない地下水を汲み上げ浄化する貯水槽、蚕の卵をふ化させる催青室【さいせいしつ】、工場へ蒸気を送る汽缶場【きかんば】、そして製糸工場のシンボル、煙突。
総面積34.197㎡(10,345坪)の広さにも及ぶ熊谷工場は、製糸工場の機能だけでなく、寮や社宅の居住施設、プールやバレーコートなどの娯楽の場や、“働きながら学ぶ”学園教室、様々な行事を行う講堂、さらには診療所など、あらゆる厚生施設が充実していました。
熊谷工場は、製糸工場としての“職場”であるとともに、ここに働く人々にとって、食・住を共にする“生活の場”でもありました。 |
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受付から順路にしたがい進みます。
   
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1.選繭【せんけん】
   
| 品質の良い生糸を作るために、製糸に適さない不良繭を取り除来ます。 |
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2.煮繭【しゃけん】
   
繭は糸と糸が互いに接着しあっているため、繭を煮ることでほぐしやすくします。
次の繰糸作業を容易にするための大切な工程です。 |
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3.索緒【さくちょ】・繰糸【そうし】
   
| 稲のミゴでつくられたミゴボウキで繭の表面をこすることで、繭から糸口を引き出します。 |
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明治時代の養蚕農家風景
   
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天蚕繭で作られたアクセサリー
   
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繰糸機へ給繭する
   
『繰糸作業の流れと機械のしくみ』の説明書コピーを頂きましたが、原本の縮小コピーが繰り返されたようで、字が小さくつぶれて読めません。。。
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| ベージュ色の器に繭をいれていく工程のようです。 |
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3.索緒【さくちょ】・繰糸【そうし】
   
繭から引き出した繭糸を何本か合わせて
目的の太さ、長さの1本の生糸にする。
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繭の種類と いろどり繭生糸(籠の中)
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2Fに上がります。
繭からできた生糸は、次の工程を経て出荷されます。
   
繰糸皇帝で小枠に巻き取られた生糸は、無理に引き延ばされ乾燥しているため、適度に濡らしほぐれやすくする。
4.小枠湿し【こわくしめし】
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生糸本来の状態に戻しながら一定の重量、長さ、幅になるように大枠に巻き直す。糸の最初と最後が分かるように結び、綛【かせ】(糸の輪)にする。製品に仕上げるため、丁寧な作業が必要となる。
5.揚返し【あげかえし】
↓
一度まとめた生糸の束が乱れないように綛にねじりを加えて一定の形に整える。
6.糸捻り【いとねじり】
↓
荷づくりや運搬に便利で生糸が損傷しにくい形状、一定の容量に圧縮し工場ごとに定められた商標を中心に置きまとめる。
7括造り【かつづくり】
↓
括となった生糸を、一括ごとにビニールの括袋に入れ、段ボールの輸送ケース1箱に6括分納め、出荷する。
8.荷造り【にづくり】
↓
出荷 |
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お供は スザナです。
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メモリアルギャラリー
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熊谷工場
メモリアルギャラリー
   
多くの従業員は、中学を卒業して勤めに来ていたため、会社の福利厚生として工場内に学校が設置され、学校教育に加え、和裁、生け花、料理、作法などの情操教育が行われていました。
メモリアルギャラリーでは、多くの写真が展示されており、従業員の寮生活や、工場内に設置されたプールで余暇を楽しむ姿、学校生活などをみることができます。 |
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各地の製糸会社の商標コレクション
   
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1F ホール展示 に出ました。
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初代 片倉兼太郎
(1850~1917)
   
| 信濃国諏訪郡三沢村(現在の岡谷市川岸)の豪農であった片倉家の長男として生まれ、23歳で早くも10人取の座繰製糸を開始。その後、洋式器機製糸工場を開設するなど事業を拡大し、1895年に片倉組を設立。二代をはじめとする一族の一致協力のもと、片倉財閥の基礎を築きました。 |
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繭と実際に使われていた道具
   
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繭と実際に使われていた道具
   
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繭と実際に使われていた道具
   
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繭と実際に使われていた道具
   
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