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No.c366 国指定史跡 吉見 百穴
No.c366 Nationally designated historic site, Yoshimi hyaku ana
Saitama-Ken /Beautiful Japan
Photo 26 pieces/GreenSeason
◆横穴墓
◆地下軍需工場跡
◆ヒカリゴケ
◆横穴の構造
◆棺座の工夫
◆土師器、須恵器
◇国指定史跡、横穴墓、古墳
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インフォメーション
   
所在地=〒355-0155 埼玉県比企郡吉見町北吉見324番地
営業時間=8:30~17:00 ※入館は16:30まで
定休日=年中無休(体験学習のみ年末年始休み)
お問合せ=吉見百穴管理事務所 0493-54-4541
料金=大人(中学生以上)=300円/子供(小学生以上)200円
※小学生未満=無料
団体(20名以上)=大人=200円/学生=150円/小学生=100円
無料駐車場=あり |
交通アクセス
| 電車 |
東武東上線『東松山』駅より徒歩30分 |
| 自動車 |
関東自動車道『東松山IC』より約15分
圏央道『川島IC』より約25分 |
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国指定史跡 吉見百穴
   
| 吉見百穴は古墳時代の後期~終末期(6世紀~7世紀)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じである。百穴が分布する一帯は凝灰質砂岩と呼ばれる掘削に適した岩盤が広がっており、当時の人々はこうした場所を選択して横穴墓を造ったと考えられる。横穴墓の形態は数種類に分類できるが、ほとんどの横穴の壁際には10~20cm程の段が作られている。ここが死者を安置した部分であり、一つの横穴に二つの段があるということは複数の人が葬られたことを示している。また、横穴墓の入口には「緑泥片岩」と呼ばれる緑色の石の蓋が立てかけられていたと言われている。こうした構造から、横穴墓は一つの横穴に複数の死者を葬る「追葬」が可能であることがわかる。これは古墳時代後期に造営された古墳の石室構造と同じものである。吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳細な情報はほとんど残っていない。現在確認できる横穴の数は219基である。 |
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この洞窟は、地下軍需工場跡地です。
   
現在は洞窟内の立ち入りを禁止していますが、
2010年に訪問した時は見学できました。⇒こちら
地下軍需工場跡
昭和19年~20年(1944~1945)にかけて、吉見百穴とその周辺の丘陵地帯にはアメリカ軍による空襲を避けながら航空機のエンジン部品を製造するための、大規模な地下軍需工場が造られました。
吉見百穴の地下にも巨大なトンネルが碁盤の目状にいくつも掘られています。
現在、吉見百穴地下軍需工場跡内の点検・調査のため、地下軍需工場跡内には立ち入りができません。 |
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中央通路
   
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横穴の構造
   
横穴は玄室・羨道・前庭の三つの部分からなっています。
玄室は死者を埋葬した所で、ここは普通遺体を安置した棺座がつくられています。
羨道は前庭から玄室に通ずる通路であり、前庭は羨道の外につくられた広場ですが、ここではおそらく死者を葬う祭りが行われたのでしょう。
遺体を玄室内に安置した後、横穴は羨道の外側に封鎖石(扉石)を立てかけて閉塞しました。
封鎖石には多くは緑泥片岩の一枚岩を使っていますが、まれに凝灰岩の切石を積み重ねた例もあり一定していません。
封鎖石は粘土を用いて密封され開けることはできなかったが、追葬の際は粘土を除いて取りはずされました。 |
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ヒカリゴケ発生地
国指定天然記念物
   
※この写真の中に、ヒカリゴケが写っているのかは分かりません
| ヒカリゴケはコケ類の一種である。光を反射して幻想的な緑色の光を放っているように見えることからこの名がついている。ヒカリゴケの生育には、年中一定の気温と湿度を保つ環境が必要で、そうした条件を満たした横穴墓内にヒカリゴケは自生している。一般的にヒカリゴケは中部以北の山地に見られるが、関東平野に自生していることは、植物学上大変貴重である。 |
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棺座の工夫
   
玄室の棺座から中央の通路にかけてまた通路から羨道・前庭にかけて溝(みぞ)が掘ってある例がいくつか見られます。
ほとんどの横穴が玄室から前庭にかけられて傾斜をつけて掘ってあります。これらは排水のための工夫でしょう。
玄室に安置された遺体がいつまでも腐らないで、とこしえに現世の生活が続けられるように願った古墳時代の人々の死者への祈りがこめられているのであろうか。 |
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頂上付近の眺望
   
地平線中央に富士山の姿がかすかに見えました。
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ズームアップして切り撮った富士山
   
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吉見町埋蔵文化センター
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| 縄文時代の土器や土偶をはじめ、埼玉県指定文化財の白磁四耳壷などの出土品が展示されています。 |
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さまざまな土偶 三ノ耕地遺跡
縄文時代晩期
   
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馬形埴輪
   
和名埴輪窯跡出土 6世紀
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展示室風景
   
古墳のサト
吉見百穴は古墳時代終末期の代表的な横穴墓群。
三ノ耕地遺跡で発見された前方後方墳は、古墳時代初期の巨大な古墳。吉見町には、この300~400年間続く古墳時代の遺跡が多く残されている |
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金環(耳飾)
   
かぶと塚古墳出土
古墳時代末期 7世紀
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かぶと塚古墳
   
かぶと塚古墳は昭和48年に吉見町教育委員会によって発掘調査が行われました。
古墳の築造時期は、出土遺物などから古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭)と考えられています。
古墳の墳丘は東西28m、南北26m、高さ4.6mの規模を誇る二段築成の円墳で、埴輪や葺石(ふきいし)などは確認されませんでした。
主体部は胴張りを有する横穴式石室で、石室の全長は6.2m、奥室と前室の2室からなる玄室と羨道部から成ります。
奥室の長さは3.15m、最大幅2.9m、前室は長さ1.65m、幅1.55m、羨道部は長さ1.4m。
石材は、凝灰質砂岩と緑泥片岩が用いられており、特に奥壁には3枚の大きな石が使用されていました。
石室からは圭頭太刀や多量の須恵器をはじめとして金環やガラス小玉などの装身具が出土しています。 |
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灰釉陶器(かいゆうとうき)
西吉見条里遺跡出土 奈良・平安時代 9世紀
| 灰釉陶器 奈良・平安時代に生産された植物灰を釉(ゆう)とした陶器です。中国陶磁の影響を受け愛知県猿投(さなげ)で生産が開始されました。生産初期には畿内地方への供給に限られましたが、平安時代になると供給範囲が広がりました。右側の碗の内側には漆の付着が見られます。 |
   
土錘(どすい)
西吉見条里遺跡出土 奈良・平安時代 8~9世紀
| 土錘 円筒形の土製品で長軸方向に孔(あな)が貫通します。漁労(ぎょろう)の網用、あるいは編み物の錘(おもり)と考えられます。 |
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土師器甕(はじきかめ)
三ノ耕地遺跡3号住居出土 古墳時代前期 4世紀
   
| 土師器 野焼きによって800℃前後の温度で焼かれ、表面が赤みを帯びた土器です。 |
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古墳時代後期の土師器 (約 1,400年前)
   
展示パネルの写真右は長胴甕(ちょうどうがめ)といい、細長い胴部が特徴で、竪穴住居のカマドに設置され、中に入れた水を沸騰させるのに使いました。
展示パネルの写真左は甑(こしき)で底には穴が開けられています。胴部に角状の把手(とって)が付くのが特徴で、カマドに据えた長胴甕の上に重ねて使います。甑の中にはスノコ状のものを置き、その上に米や穀物をのせ、下の長胴甕から上ってくる水蒸気で中のものが蒸されました。ちょうど現在のセイロのように使用されていたと思われます。 |
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須恵器脚付長頚壺(すえききゃくつきちょうけいつぼ)
西吉見条里遺跡出土 奈良・平安時代 8~9世紀
   
| 須恵器 5世紀代に朝鮮半島から渡来しました。ロクロによって成形し、登り窯を使用して約1,100度で焼成されます。吉見町周辺では「鳩山町」「ときがわ町」において8世紀代に生産が開始されます。土師器よりも硬質で薄くて割れにくいため、水甕(みずがめ)や日常食器として広く利用されました。 |
お供はスザナです。
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埴輪
   
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閉館時間近くまで「埋蔵文化財センター」で見学して外に出ると
訪れていた人々の姿は見えなくなっていました。
   
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十五夜の数日前でしたが、東の空に大きな月が見えました。
   
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