c367 天林山 笠覆寺 笠寺観音

愛知県(Aichi-Ken)
2024/09/22 Sun.  


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天林山 笠覆寺 笠寺観音


天林山笠覆寺 笠寺観音



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No.c367 天林山 笠覆寺 笠寺観音
No.c367 Tenrinzan Ryufukuji KasaderaKan-non

Aichi-Ken /Beautiful Japan
Photo 30 pieces/GreenSeason
◆縁結び、玉照姫、藤原兼平
◆善光上人、十一面観音菩薩
◆阿願上人、政識和尚
◆薬師堂、善光寺堂
◆鐘楼、玉照堂
◆本堂、護摩堂、山門
◇観音、寺
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弁才天


インフォメーション

所在地=〒457-0051 愛知県名古屋市南区笠寺町上新町 83
電話=052-821-1367
営業時間=8:00~16:00
無料駐車場=あり
山号=天林山
寺号=笠覆寺
御本尊=十一面観音菩薩
交通アクセス
名古屋鉄道『本笠寺』駅より徒歩3分
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名古屋城を中心に恵方がめぐる尾張四観音の一つ『笠寺観音』を
訪ねました。
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弁才天のお堂が奥にありますが、、、、

水の守護尊、技芸の守護尊。






名古屋市指定有形文化財
笠覆寺 山門(仁王門)








仁王様 金剛力士像








仁王様 金剛力士像








亀池やきもの

 年2回行われている「七輪陶芸ワークショップ」にて参加者が作った作品です。
 笠寺観音の池に溜まった土を使っての七輪陶芸です。
人工池のため、自然に土が排出されることがなく、人手で掻き出さなければ溜まってしまいます。土の再利用の一つとして始めました。
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放生池(亀の池)








本堂
左に信徒会館  右に護摩堂があります。








笠覆寺 扁額




笠寺観音 開基
呼続(よびつぎ)の浜辺に流れ着いた霊木が夜な夜な不思議な光を放ち、見る人は恐れをなした。
近くに住んでいた禅光(善光)上人は夢のお告げを受け、その霊木を彫らせて十一面観世音菩薩の像を造り、堂を建て、そこに観音さまをおさめ、寺号を「天林山小松寺」とした。
天平5年(733)の事であった。







笠寺観音 御本尊

 笠寺観音の御本尊は、玉照姫の故事から、笠をかぶっています。(秘仏、御開帳は8年に一度。前回は平成27年4月)普段は「お前立ち」の観音様のお姿が見えます。
 御利益は、厄除、健康、商売、結縁。







本堂のお賽銭箱前の天井








本堂受付 お札 授与所








お百度石








手水舎 と 多宝塔

このような位置関係です。






手水舎








水かけ地蔵








右の建物が多宝塔








多宝塔

二重の塔。阿弥陀如来をお祀りしています。
多宝塔前の 家康公人質交換碑






徳川家康公御幼少の砌(みぎり)
人質交換の地

 徳川家康は、幼名竹千代と呼ばれており、三河-岡崎城主、松平広忠の長男であった。父松平広忠は尾張の織田信秀と戦っており、駿河を支配する戦国大名、今川義元に援軍を要請する際、人質として竹千代が差し出されることとなった。竹千代を連れて駿府へ向かった松平広忠の親類筋にあたる家臣、戸田康光は、途上で織田信秀側に竹千代を売り払うという、とんでもない裏切り行為を働き、竹千代は、織田信秀側の人質となってしまう。
 その後、今川義元は、三河に進軍した際に、安祥(あんじょう)城(現・安城市内)を守備していた織田信広(信秀の子信長の兄にあたる)をとらえ、人質とし、竹千代との人質交換をせまる。織田信秀はそれに応じ、竹千代と信広との交換が成立した。その交換した場所が現在の笠寺観音(笠覆寺)であったとされる。

今日のお供は、スザナです。







玉照堂

観音さまと玉照姫
 善光上人がお堂を建ててから、約200年の歳月が流れ、小松寺は荒れ、お堂は崩壊し、観音様は雨風にさらされたままになってしまった。ここに鳴海長者・太郎成高の家に仕える一人の娘がいた。その器量を妬まれてか、ひどくこき使われる日々を送っていた。ある雨の日、雨露に濡れる観音様の姿を見て気の毒に感じ、自分がかぶっていた笠を観音さまにかぶせた。その縁か後日、関白・藤原基経公の息子、中将兼平公が下向のおり、長者の家に泊った際にその娘をみそめ、自分の妻として迎えようと決心した。
苦境を救われ兼平公の妻となった彼女は「玉照姫」と呼ばれることとなった。
 この観音さまによって結ばれた玉照姫・兼平公ご夫妻は、延長8年(930)、この地に大いなる寺を建て、観音さまを奉安し、寺号を小松寺から「笠覆寺(りゅうふくじ)」に改めた。この寺号が「笠寺」の名の由来である。
 以来、現在に至るまで笠覆寺は「笠寺観音」の通称で親しまれ、厄除けや、縁結びの観音さまとして、多くの人々の信仰を集めることとなる。




芭蕉の句碑「千鳥塚」と宮本武蔵顕彰碑








笠寺薬師堂

医王殿(薬師堂)、薬師如来をお祀りしています。






笠寺 善光寺堂
解体修理完了記念 善光寺堂秘仏初開帳
令和6年9月6日~10月31日木まで

 善光寺信仰は信州から全国に広がり、笠寺観音境内の善光寺堂はおよそ300年前に再建されたものです。
 長年の間に木材の傷みが進んでいたこのお堂を一旦解体し、使える木材はできる限り残してこのたび大修理を完了するに至りました。また堂内に祀られていた秘仏の一光三尊像(善光寺式阿弥陀三尊像)と、厨子前の御前立ちの阿弥陀如来像もあわせて修復しました。
 これを記念し、秘仏の一光三尊像の厨子の扉を開き、初めて皆様にそのお姿をあらわします。ぜひご参拝ください。(堂内には入れません)。また、限定の記念御朱印(書置きのみ)を用意します。
  ※ 受付は8:00~16:00です。
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鐘楼

阿願上人の願いによって鎌倉時代に造られた梵鐘は、尾張三名鐘のひとつで、毎年大晦日の夜に除夜の鐘を突きます。



興廃の波
 笠寺観音となってからさらに歳月は経ち、嘉禎4年(1238)に阿願上人が寺を再興したのを始め、鎌倉~室町頃には塔頭寺院として「十二坊」が派生した(現在は4坊)。現在の堂塔の多くは江戸期(正保~宝暦年間)の再建になるものである。
 江戸~明治時代にかけ諸堂は傷み、また境内に建っていた玉照姫木像が安置されていた堂も失われ、木像も門外に流出してしまった。
 しかし、玉照姫・兼平公ご夫妻のご位牌と最初にかけられた笠は幸いにも散逸の難をのがれ、寺に残されて堂の再建を待つことになる。
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政識和尚像

復興と現代
 後に住職となる政識(せいしき)和尚は、荒れた寺を憂い、大正時代からあちこちに勧請して多くの信者の帰依を受けるなか、戦後には本堂・山門などの大修理をすすめて笠覆寺を復興、かつての壮観を取り戻した。平成時代には、失われて百年あまりが経った玉照姫の堂の再建も果たされた。
 令和時代に入り、本堂建立(1763)以来で最大規模の根本的修理や諸堂・境内の整備を行う。
観音様をはじめ幾多の諸尊、玉照姫・兼平公ご夫妻は、いまもこの寺で、参拝する善男善女を見守っている。
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白山社

 白山大権現。「見ざる聞かざる言わざる」の
「三猿」もお祀りしています。







暁台塚と笠寺延命地蔵堂

お釈迦様亡きあとの衆生を救うのがお地蔵さまと言われています。
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行者堂

役行者(えんのぎょうじゃ)をお祀りしています。


六地蔵

 地獄から天界まで、すべての生きる者たちの苦悩を救おうとされる、六種のお姿のお地蔵様。






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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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境内パネルとパンフレットを参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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