c390 町田薬師池公園

東京都(Tokyo-To)
2025/02/09 Sun.  


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町田薬師池公園

四季彩の杜

ツバキ園:9月~5月開花 約400種 900本



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No.c390 町田薬師池公園四季彩の杜
No.c390 Machida Yakushiike Park shikisai no Mori

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 38pieces/GreenSeason
◆薬師池・四季彩の杜
◆椿園
◆タイコ橋
◆梅園
◆水車
◆萬葉草花苑
◆旧荻野家住宅
◇ロウバイ、梅、椿、公園
出かけませんか?CandyBox
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インフォメーション

所在地=〒  東京都町田市野津田町3270
開園=1976年4月
公園面積=141,654㎡
薬師池面積=7,700㎡/貯水量=約10,000㎥/水深=0.9~1.8m

駐車場=有料あり。1時間まで無料、
     1時間30分:100円 以降30毎に50円を加算
交通アクセス
小田急線町田駅、JR横浜線町田駅から以下のバスを利用

-バス-
小田急町田駅北口21番乗場 本町田経由野津田車庫行
または、本町田経由鶴川駅行きバスに乗り『四季彩の森西園前』、『薬師池』、『薬師ヶ丘』のいずれかで下車
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ロウバイ

広範囲に植えられ、可愛らしく咲いていました。


園内に咲く植物と開花時期
ウメ 約250本 3月 開花 梅園:白梅 紅梅
サクラ約250本 3月下旬開花 ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラ、枝垂れ桜等
フジ 4月下旬開花 藤棚:400㎡、 紫/白
6尺フジは長さ160cm
花ショウブ 6月中旬開花 約180品種、2,200株
大賀ハス 7月下旬開花 ハス田面積:3,000㎡
千葉県検見川の遺跡で発見された2000年位前の蓮と推定
紅葉 11月中旬~
12月上旬
イチョウ、カエデ類、クヌギ、コナラ
最盛期にはライトアップも実施。







ソシンロウバイ








モニュメント
自由民権の像

  自由や権利という言葉が、人々に新鮮な感動を与え、人間の精神の内に秘めた活力を呼び起こす、という時代がありました。近代に入ってもまだ憲法もなければ国会もなく、自治も市民的自由もなかった、1870-1880年代がそういう時代でした。
 当時の町田市域は神奈川県の行政区にあって、南多摩郡に属しており、自由や権利の実現への願いが、もっとも強く満ち満ちていました。この地域は、武蔵国の辺境でありながら、相模国と接し、武相自由民権運動の中心的な地域となる可能性とエネルギーを内包していたのです。ちなみに三多摩が東京府に移管されたのは1893年のことでした。

 神奈川県内の自由民権運動を指導した石阪昌孝をはじめとして村野常右衛門、青木正太郎、細野喜代四郎、若林高之亮、など魅力あふれる民権家を生み全国でも有数の豪農民権運動を展開しました。後発の若林美之助や石阪公歴ら青年たちも、民権の理想に燃えて活動を繰り広げました。この活気に満ちた時代の想像力と、情熱にあふれた青年たちの奮闘と努力をあらためて現代に呼びさまし、そして未来に伝えつづけるために、ここに自由民権の像を建立します。
市制40周年を記念して
1998年2月1日             町田市
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モニュメントの鐘








薬師池とタイコ橋

鏡のような湖面です。







追いかけっこして水面を走っていった水鳥








タイコ橋

薬師池の由来
 薬師池はかつて「福王寺池」ともよばれ、天正5年(1577)に北条氏照の印判状が野津田の武藤半六郎(河井家祖先)にくだり、水田用池として天正18年(1590)に完成しました。
 その後、宝永5年(1708)にこの溜池は泥砂で埋まり、大塚村、小山村、高ヶ坂村などから人足が出て、3年間を費やし泥砂をさらいました。しかし、文化14年(1817)に再び泥砂で埋まり、渇水状態となったため、普請願を提出し、ひでりにあえぐ七町余歩(約7ヘクタール)の水田の水を得るため、溜池を堀りなおし、今日に至っています。
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梅園
品種名・・道知辺(みちしるべ)

 早咲きの梅が咲いていましたが、2025年の梅まつりは
2月20日~3月16日まで開催されます。
約250本の紅白の梅が楽しめます。
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梅園
品種名・・道知辺(みちしるべ)








タイコ橋








水の中の さかさまの世界




やくし茶屋






萬葉草花苑




薬医門をくぐり萬葉草花苑に入りました。



萬葉草花苑には、植えられた植物に関連のある万葉集の歌の立札が、数多く立っていましたが、花は見つけられなかったので歌のみ、いくつかご紹介します。

をみなへし(乎美奈敝之)
「高圓の 宮の裾(すそ)みの 野司(のつかさ)に
今咲けるらむ 女郎花(おみなへし)はも」
作主:大伴宿祢家持

口譯:高円の宮の裾まわりの野の丘には今頃咲いているだろう、
おみなえしの花が。






せんだん/別名:あふち



ひる 蒜
「醤酢(ひしほす)に 蒜搗(ひるつ)き合てて 鯛願(たひねが)ふ
吾にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)」
作主:長忌寸 意吉麻呂(ながのいみき  おきまろ)

口譯:醤酢にひるをつき混ぜて鯛を食べたいと願う私に
水葱の吸物など見せてくれるな






ロウバイ



ふぢばかま(藤袴)
「萩の花 尾花葛花 瞿麥(なでしこ)の花
女郎花(おみなへし) また藤袴」
作主:山上臣憶良

口譯:秋の七草ははぎ、すすき、くずの花、なでしこ、
おみなえし、ふじばかま、ききょうの花です。










うけら(宇家良)
「戀(こひ)しけば 袖も振らむを 武蔵野の
うけらが花の 色に出(づ)なゆめ」
作主:不詳 武蔵国歌

口譯: もし、恋しくなったら、袖を振って私のことを呼んでください。
あなたは武蔵野のおけらのように恋心を表に出したり
しないでください。決して。









あさかほ(朝杲)
「朝顔は 朝露負いて 咲くといへど
夕かげにこそ 咲きまさりけれ」
作主:不詳

口譯:朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ
なお一層その美しさが際立つものだ。


なでしこ(石竹)
「なでしこの その花にもが 朝な朝な
手に取り持ちて 戀ひぬ日無けむ」
作主:大伴宿祢家持

口譯:あなたが撫子の花であればなぁ。 そうすれば毎朝手に取って
愛でいとしまない日はないだろう。



再び薬医門をくぐり旧荻野家を見学します。





旧荻野家住宅 東京都指定有形文化財




旧荻野家住宅

 この家はもと町田市三輪町1,601番地にあった荻野磯吉氏の住宅であり、荻野家より町田市に寄贈され、昭和49年移築復元された。荻野家は笠間藩の医家を出自とし、当地に移り幕末まで医家であった。旧所在地付近は、かつては閑静な農村であったが、屋敷前の道は町田に抜ける往還として当時から人通りが多かった。

 茅葺入母屋々根のこの家は桁行6間半、梁行4間半の大きさで、後方に杉皮葺の風呂場と便所を突き出しているが、家の向きは農家と違って妻入りであり、内部の間取りも町屋と似た所がある。すなわち、前側2間が町屋風の土間と「調合屋敷」、その後方には左手に2室の座敷、右手に家族生活のための「中の間」と台所土間をとる。また前側の土間の戸締りには町屋の揚戸が使われている。

 家の年代は幕末期と推定されるが、外観、内部とも整い、町屋の造りを取り入れた農村部の医家の建物として類例の少ない民家である。
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上:座敷 下:土間 (待合室)








ツギノマ

















トイレとお風呂場








台所土間

 







板倉

 この建物は、板倉といい農家の屋敷内で、日当たりの良い場所に建てられ米や雑穀を、籾のまま保存する為使われました。  この板倉は町田市相原町の、渋谷十三氏宅にあったもので、江戸時代末期に建てられたものと思われます。昭和58年12月に解体し、60年1月に復元しました。構造は5つの室からなっており、各室とも三方の壁、床、天井を板で囲い前面は揚げ板となっていて、この揚げ板を引き上げて穀物を出し入れするようになっています。地方によっては、揚げ板の下部に穀物の取り出し口を設けたものもあります。掘っ建て柱の上部についている板は「ねずみ返し」と言い、ねずみの進入を防ぐために、つけられています。
町田市 



















国指定重要文化財 永井家住宅








ソシンロウバイと
国指定重要文化財 旧永井家住宅

  永井家は多摩丘陵で代々農家を営んでいた。この建物は、現在位置の北方約 3.3kmのところにあったが、多摩ニュータウンの建設にともない町田市に寄贈され、昭和50年(1975)にこの薬師池公園に移築された。

 移築時の調査により、17世紀後半に建てられたことが判明したため、建築当初の姿に復元された。外観は、寄棟造、茅葺で、縁側がなく軒の深い土庇であること、窓が少なく閉鎖的であることが特徴的である。

 内部は、土間、広間、デイ・ヘヤ(客間)の三室からなる。土間にはかまど、広間には囲炉裏があり、煮炊きや作業をする場所であった。北隅の部屋は大事な物の収納と、当主の寝室も兼ねていたと考えられる。また広間と部屋は竹簀子(たけすのこ)の床に筵(むしろ)敷きだが、南隅のデイは板敷で他の二室より上等な仕様である。広間の押板や、正面の太い格子の「しし窓」は、古い民家の特徴を表している。

 この住宅は都内では最古に属するもので、広間型三間取りの平面、四方下屋造の構造、しし窓や押板など、神奈川県の古民家と類似点をもち、その分布を知るうえで重要な遺例である。
令和4年3月設置               東京都教育委員会









雪吊りと タイコ橋


町田の民話と伝承
薬師池の大蛇(おろち)
 江戸時代後期の天保年間に大飢饉が起こった。町田市域も例外ではなく、このため多くの人が飢え、潰れ百姓が多くでた。とくに天保7(1836)年の飢饉はひどく、5月は長雨が続き、7月、8月には台風も加わって大雨の日が続いた。このため、作物は実らなかった。毎日の雨で、薬師池の水は満々とたたえられ堤防は今にも決壊寸前だった。

 野津田村の百姓弥兵衛は、しとしと降り続く雨の中を水田の見廻りにでかけた。薬師池の水門までくると、暮六つの鐘の音が聞こえた。薬師池の方を眺めると、田舎にはまれな美人が蛇の目傘をさして近寄ってきた。
 「ちょっと、ものをお尋ねしますが、由木(現・八王子市)の長池に行くにはどのような道順をたどっていけばよいのでしょうか」と透き通るほど澄んだ声でものやわらかに弥兵衛に尋ねた。弥兵衛は丁寧に教えてやった。その娘は厚く礼を述べて立ち去っていった。弥兵衛もわが家に向かったが、この雨の降る日暮れに若い娘が由木まで行くのは大変なことだと思い、どうしても今の娘が気懸りになり後を振り向いた。その瞬間、弥兵衛は驚きと恐怖で目がくらんでしまった。今教えてやったばかりの坂道を、直径30cmもあると思われる大蛇が滑るように速さで由木の長池の方向を目指して、一目散に直進していく姿がはっきりと目にうつったのである。

 さては、先の娘は弁天様の化身であったのかと、驚きと恐ろしさを背に浴びながらやっとの思いでわが家にたどりついた。それ以来、薬師池の水量は次第に減り、堤防決壊の災難をまぬがれたという。

 この話は、薬師池にまつわる伝説で、薬師池の主といわれた大蛇はその後もながく棲息した。昭和初期頃まで、野津田や山﨑の人は、晴れた日に銀杏の大樹の上にとぐろを巻いたり、枝渡りしたさまを見たという。
(町田の民話と伝承第2集・町田市文化財保護審議会編から)
2000年 3月 町田市教育委員会 




水鳥の住宅でしょうか?












鏡のような湖面の映り込み








水車小屋

昭和50年10月完成
水車はまわっていましたが、付着した水が氷になっていました。






水車

お供は、ジョージーナです。






水車小屋をのぞいてみました

石臼を回す大きな歯車が見えました。



気が付くと訪問者の姿が見えなくなりました。







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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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パンフレットを参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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