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No.c414 横浜美術館
No.c414 Yokohama Museum of art
Kanagawa-Ken /Beautiful Japan
Photo 27 pieces/GreenSeason
◆横浜美術館リニューアルオープン記念展
◆江見絹子、中島清之、歌川芳員、高橋由一
◆ペーター・ベルンハルト・ヴィルヘルム・ハイネ
◆五姓田義松、牛田鶏村、片岡珠子、松本竣介、奈良美智
◆林忠彦、常盤とよ子、奥村泰宏、篠原有司男、横尾忠則
◆パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット
◆マリア・ファーラ、モクモクワクワクヨコハマヨーヨー
◇美術館
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ページラスト
今日はあいにくの雨です。
こんな日でも楽しめるのが屋内施設、
電車に乗って写真が可能な、横浜美術館を訪ねました。
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横浜美術館 インフォメーション
横浜美術館 リニューアルオープン記念展
おかえり、ヨコハマ 2025年2月8日~46月2日
所在地=〒220-0012
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
営業時間=10:00~18:00 (入館は17:30まで)
休館日=木曜日、3/21 (ただし3/20は開館)
料金=一般:1,800円/大学生:1,500円/中高生:900円/
小学生以下=無料
有料駐車場=10:00~21:00 あり
最初の90分500円、以降30分ごとに250円
交通アクセス
みなとみらい線『みなとみらい』駅3番出口から
<グランドガレリア>経由徒歩3分
JR京浜東北・JR根岸線・横浜市営団地下鉄
『桜木町』駅から<動く歩道>を利用、徒歩10分
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1. みなとが、ひらく前
開港前は単なる漁村だった?いえいえ、
横浜には古くからたくさんの人が暮らしてきました。
←その証拠にこんなものが発掘されています。
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江見絹子(1923-2015)
≪土≫1955年 横浜美術館
兵庫県に生まれた江見絹子は、、父の反対を押し切って洋画家となりました。1951年から中区山手町にアトリエを構え、亡くなるまでここで制作を続けました。1954年、南ヨーロッパを旅行し、ラスコーとアルタミラの洞窟壁画を見たことで、抽象的な物を描くように、大きく画風を変えました。小説家、荻野アンナさんのお母様です。
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中島清之(1899-1989)
≪古代より(二)≫1952年 横浜美術館
1945年に第二次世界大戦が終わると、考古学ブームが起こりました。たくさんのアマチュア考古学者が発掘を行い、成果をあげました。日本という国がいつ、どうやって始まったのか、記紀神話に基づく戦前の歴史観を乗り越えて真実を知りたいという熱気が、社会を覆ったのです。1960年代になると、「縄文」「弥生」という日本独自の時代区分が定着しました。作家は当時、東京国立博物館に展示されていた土器や埴輪を目にして、二点の<古代より>を描きました。
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中島清之(1899-1989)
古代より(一)1952年 横浜美術館
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2.みなとをひらけ
1859年に開港した横浜。
めずらしい風物は国内外の注目の的でした。
ペーター・ベルンハルト・ヴィルヘルム・ハイネ(伝)(1827-1885)
≪ペルリ提督横浜上陸の図≫1854年 横浜美術館
1853年(嘉永6)、開国を迫るアメリカ大統領の親書を携えて、マシュー・ペリー率いる東アジア艦隊が日本にやってきました。翌年、親書への回答を得るため艦隊が戻ってきたとき、交渉の場となったのが横浜村でした。
この作品は交渉初回の3月8日(旧暦2月10日)、今のみなとみらい線日本大通り駅付近に上陸するペリー一行を描きます。儀礼好きの日本人に強い印象を与えるため、ペリーは盛装した乗組員をずら例と整列させました。ペリーの後ろには、3人のアフリカ系の乗組員が続きます。沖に勢揃いした8隻の艦船からは、礼砲の煙があがっています。(実際は7隻でした。)
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歌川芳員(生没年不詳)
≪横浜明細全図≫1868年 横浜美術館
江戸が終わる4年前、1864年(元治元)の横浜の図です。中央にある湾曲した二本の突堤のうち、左が現在の「象の鼻」です。その上の「亜役館(アメリカ公使館)」周辺は、1854年(嘉永7)ペリーの上陸地。港沿いにはほかにも「プロシユン役館(プロイセン公使館)」「デ子マルカ役館(デンマーク公使館)」などが並びます。右上の四角い街区は港崎(みよざき)遊郭。左上の山手には、前年の薩英戦争を機に駐屯を開始した英仏軍がいます。中央下、対岸の神奈川宿から飛び出したギザギザは、外国船の攻撃に備えて勝海舟が設計した砲台、神奈川台場(1860年竣工)です。
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高橋由一(1842-1894)
≪愛宕山より品川沖を望む≫1877年 横浜美術館
1872年、東京の新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開業しました。所要時間は53分と、意外に早かったようです、高橋由一の油彩画は、新橋駅に近い愛宕山からの眺めです。横浜へと出発した列車の煙が奥に小さく見えます。
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3.ひらけた、みなと
みやげものとして、また輸出向けに、
たくさんの産業が生まれました。
フェリーチェ・ベアト(1834-1909)
≪東海道の風景、リチャードソン氏殺害の現場≫1863-70 横浜美術館
現在の鶴見区生麦1丁目。1862(文久2)年、薩摩藩主の父、島津久光の行列に鉢合わせしたイギリス人4人が、ここで藩士たちに襲撃されました。4人のうち、上海在住の商人、リチャードソンが亡くなりました。久光は、江戸で幕府の将軍人事に介入した後、京都に戻るところでした。この事件は、翌年の薩英戦争のきっかけとなりました。他にも井土ヶ谷、鎌倉などで外国人殺傷事件が起きています。開国に伴って物価が上昇し、人々の外国人排斥感情は高まっていました。
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五姓田義松(1855-1915)
≪五姓田一家ノ図≫1872年 神奈川県立歴史博物館
五姓田義松は、みやげものの絵画工房を営む父、五姓田芳柳の元に生まれました。13歳頃から横浜に通い、水彩や油彩を学びました。この絵が描かれたころ、16歳の義松は、母、勢子(せいこ)、妹、たつ(勇子またはのちの渡辺幽香)や弟子たちと、市内西太田に工房を構えていました。
画面左端にいるのは、1歳下の妹、勇子です。画帖を抱え、画面のこちら側、絵を描く兄の方をじっと見ています。のちにフランス留学までした兄に比べ、女性だった勇子の教育機会は限られました。しかし、強い意志で生涯画業を継続しました。
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田代屋(1871-1930s)
≪色絵菊花文耳付花瓶≫横浜美術館新収蔵作品
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4.こわれた、みなと
横浜生まれの画家たちは美術界で大活躍。
そんな折、関東大震災が横浜を襲います。
牛田雞村(うしだけいそん)(1890-1976)
≪海苔干し≫1910年 横浜美術館
かつては日本各地の浜辺の冬の風物詩だった、海苔の天日干し。この絵の取材地はわかっていませんが、横浜の画家 雞村にとっては身近な題材だったことでしょう。横浜の根岸湾は当時遠浅の豊かな漁場で、海苔の養殖が盛んだったためです。その光景は、鶏村を厚く支援した実業家・原三渓が横浜に造った庭園「三渓園」からもよく見渡せました。鶏村はこの絵で、漁具のかたちの面白さを際立たせました。海苔が整然と並ぶ干し場。束ねた「海苔ひび」(海中で海苔を付着させる木の枝)のこんもりとした形。その後ろには、櫂を使って広げた袋網が高々と干されています。のびやかな構図がおおらかさを感じさせる一方、細部はとても綿密に描かれています。
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片岡珠子(1905-2008)
≪緑蔭≫1939年 横浜美術館
戦時下の教え子たち
絵のモデルは、片岡珠子が勤めてた現・横浜市立大岡小学校の教え子たち。34歳の時、学級担任を持ちながら寸暇を惜しんで描いた作品です。のちの作品にも通じる、骨太でくっきりとした造形と衣服の細部まで描いた鮮やかな色が際立ちます。
当時は日本が朝鮮半島を占領していた時代。日本に渡って働く朝鮮の人達も多くいました。大岡小学校がある今の南区にもそうした人達が暮らしていたので、韓服(はんぼく)の少女たちはその家族でしょう。ただ、この頃にはほとんどの児童は洋服で通学していたため、この絵は学校の日常的な光景というより、絵のモデルとしてあえて和服と韓服を着てもらったものと考えるのが自然かもしれません。
この頃の日本は、日中戦争の勃発による戦時下にありました。戦時体制の強化の中で、朝鮮の人達に対する同化政策「内鮮一体」が始まり、子どもの教育や文化にも影響を及ぼしました。この絵を描く際、珠子はおそらくそのことも意識したのでしょう。
珠子は「私は画家というよりもむしろ教育者です」という言葉を残しています。時流に飲み込まれることなく、子どもたち一人一人の出自や個性を尊重し、彼らの健やかな成長を願う---この絵には、教育者・珠子のそうした信念をも見て取ることができるのかもしれません。
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5.また、こわれたみなと
戦争が近づく横浜。洋画家、松本竣介が
市内の橋を描いたシリーズ<Y市の橋>は、
横浜の風景を時系列で描いた初のまとまった作品です。
松本竣介(1912-1948)
≪Y市の橋≫1944年 個人蔵
横浜駅近くの月見橋を描いた、洋画家、松本竣介のシリーズ
数点あった中の一枚
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林忠彦(1918-1990)
原節子、『我が青春に悔いなし』撮影風景 1946年 横浜美術館
原節子(本名:會田昌江)は、戦前、戦後の日本映画界を代表する女優です。保土ケ谷区月見台の裕福な生糸商の家に生まれましたが、1929年の世界恐慌で家業が傾き、女学校を中退して映画界に入りました。戦時中は『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)などの戦意高揚映画に出演しています。戦後は一転、『青い山脈』(1949年)などで、民主主義を称えるヒロインを演じました。『わが青春に悔いなし』(1946年)は、黒澤明監督作品。原は、左翼運動に携わる夫に寄り添い、農村の改革運動に身を投じる大学教授令嬢を演じます。
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6.あぶない、みなと
戦後の占領が長引き混乱する横浜。
同時に独特の魅力で多くの日本映画の舞台となりました。
写真家 常盤とよ子
野毛山プールの女子プロレス 1955年 横浜市発展記念館
リングの上でもみ合う二人の女性。その背景で、隙間なくいっぱいに並んだ観客がリングを見つめています。会場は、野毛山公園に隣接する場所にかつてあった野毛山プールです。女子プロレスは当時、おもに芝居小屋やキャバレーで開催され、見世物のひとつとして捉えられることがありました。常盤は、興業だけでなく女子プロレスラーの養成所にも足を運び、彼女たちが明るく練習に励む様子を目にします。写真には、スポーツマンとして試合に熱中する女性の姿と、彼女たちに視線を向ける人々が、対照的に写し出されています。
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奥村泰宏(1914-1995)
≪カストリ横町≫1949年 横浜美術館
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篠原有司男(1932- )
≪ラブリー・ラブリー・アメリカ (ドリンク・モア)1964年 横浜美術館
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7.美術館が、ひらく
1989年、横浜美術館開館
この頃に収蔵した名昨たちをたっぷりとご紹介します。
横尾忠則(1936- )
≪黒いY字路 11≫2011年 横浜美術館
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パブロ・ピカソ(1881-1973) ≪ひじかけ椅子で眠る女≫1927年 横浜美術館
ひじかけ椅子で眠るのは誰?
≪ひじかけ椅子で眠る女≫のモデルは、マリー=テレーズ・ワルテルと考えられます。1927年1月、パリの街角で声をかけられ、その後9年にわたってピカソの恋人となりました。ワルテルは17歳、ピカソは45歳でした。ピカソには妻子がいたため、ワルテルの存在は美術界にも秘密でした。
出会いの前年、ピカソは同じ椅子に座る別のモデルを描いています。≪ひじかけ椅子で眠る女≫の習作を見ると、この作品が当初、前年のモデルの縦縞のドレス姿を引き継いでいたことがわかります。最初は、肩から椅子の肘にかけて長い腕が伸びていました。
しかしピカソは、最終的に胸から上だけを切り取って作品を仕上げました。このため完成作では、開いた襟元は裸の上半身に、縦縞のドレスの胸の部分は下半身を包む腰巻きのように変化しました。つまり、着衣がセミヌードに化けたのです。また、前年のモデルは目を開いていましたが、ワルテルは大きく口を開け、無防備に眠る姿で描かれています。同時期に描かれた≪肘掛椅子に座る女≫(1927)にも、びっしりと並ぶ歯のある丸い口が見られます。
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サルバドール・ダリ(1904-1989)
≪ガラの測地学的肖像≫1936 横浜美術館
ガラ(本名エレナ・イバノブナ・ディアコノワ)は現在のロシア連邦タタールスタン共和国生まれ。詩人、ポール・エリュアールとの結婚、そこに愛人の画家、マックス・エルンストを加えた三人の共同生活を経て、ダリと結婚しました。奔放で、創造性に富み、またダリの優秀なマネージャーでもありました。ダリは『わたしの絵は、ガラよ、ほとんどあなたの血で描いたものだ』と述べています。タイトルの「測地学」は、このうしろ姿を綿密に分析して、曲がり階段とドーム屋根を持つ建物に変容させた素描に関係すると思われます。
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8.いよいよ、みなとがひらく
子どもと、私たち大人の中にいる子どものために、
未来への希望を探ります。
ルネ・マグリット(1898-1967) ≪王様の美術館≫1966年 横浜美術館
山高帽子の男はマグリットが好んで絵の中に登場させた人物です。この作品は体の輪郭線と目、鼻、唇といった顔のパーツを除いて、森と山の風景に満たされてます。さらにマグリットはこの作品のタイトルを友人に決めさせたそうです。そのほかいくつかの点でも謎めいて見えるでしょう。しかし、同時にこの作品はこうすれば謎めいて見える、という方法の実験であるともいえます。例えば、絵の中の前後関係を反転させる、タイトルを他人に委ねるなど、謎を作るための秘密が、この作品に仕組まれているのです。謎であり、種明かしでもある。この二重性がマグリットの妙味といえるでしょう。
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奈良美智(1959- )
≪春少女≫2012年 横浜美術館
ふるさと、東北を襲った東日本大震災の後、奈良が描いた作品です。横浜美術館の『奈良美智:君や僕にちょっと似ている』展(2012年)に出品されました。作品の前に立って、じっと画面を見てください。時間が経ち、目の焦点がぼやけるにつれ、少女の姿がぼおっと浮かび上がり、大きくこちらに迫ってくるでしょう。巨大な少女の目に見つめられると、私たちはとても謙虚な気持ちになります。周囲のものが大きく、自分が小さく思えた子どものころの感覚に連れ戻されてしまうのです。
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マリア・ファーラ(1988- )
≪ルームサービス≫2021年
エプロンやスーツを着て背中を向けた人が、食べものを運び、部屋に入ろうとしています。垣間見える靴やドレス、窓の外の景色などが、絵のなかの物語への想像を掻き立てます。ファーラは、フィリピン人の母とイギリス人の父の間に生まれ、故郷を離れて異国の地で客室係の仕事をしていた母に着想を得て、この絵を描きました。顔が見えないように背中から表すことで、社会のなかで見過ごされる外国人労働者の女性たちに光を当てようとしています。その背中は明るい色調で描かれ、家族のために異国で働く母たちへの作者の畏敬の念が伝わってくるようです。
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階下の休憩スペース
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子どものコーナー
お供はスザナです。スザナも子どもです。
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閉館まで見学しました。雨は上がっていました。
美術館前から見えた みなとみらいの巨大オブジェの一部
モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー
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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。→:こちら!
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