c445 藤原京と奈良文化財研究所藤原宮跡資料室

奈良県(Nara-Ken)
2025/10/19 Sun.  


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藤原京と奈良文化財研究所藤原宮跡資料室

奈良文化財 藤原宮跡 資料室


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No.c445 藤原京と奈良文化財研究所藤原宮跡資料室
No.c445 999

Nara-Ken /Beautiful Japan
Photo**pieces/GreenSeason







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藤原宮跡 資料室
インフォメーション

所在地=〒634-0025  奈良県橿原市木之本町 94-1
TEL= 0744-24-1122
営業時間 = 9:00~16:30
休業日= 年末年始および展示替え期間中
料金= 無料
無料駐車場= あり
交通アクセス
555
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藤原京と言えば持統天皇?
天武天皇の后で、夫の死後数年間の「称制(しょうせい)」
(天皇の代行)を経て即位し、藤原京を完成させました。




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奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室

 藤原宮跡で出土した瓦、土器、木簡など多数展示。往時の様子が分かりやすく展示されています。立地が藤原京の左京六条三坊にあたり、発掘調査で見つかった主な遺構が敷地内に表示されているのも見逃せません。
 宮殿建築の屋根に瓦を葺くようになったのは藤原宮が最初でした。藤原宮では、200万枚以上使用されたと推定されています。




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出土した様々な模様の『巴瓦』が展示されています。

 宮殿建築の屋根に瓦を葺くようになったのは藤原京が初です。それまでは、寺院建築でわずかに使われていたのみで、当時の最新の建材の一つでした。




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藤原京遺跡を見学する上での注目点が紹介されています。





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7本の幢幡

 元旦の朝賀の儀式(天皇が元旦の朝に大極殿に出御され、皇太子以下の文武百官の拝賀を受ける)の際、大極殿正面の広場に等間隔で立てられた7本の「幢幡(どうばん)」(吹き出しのついたのぼり旗)を模したものです。
 写真中央に烏(からす)をかたどった銅製の幢が、その左右に日像(太陽)と月像の幢が、さらにそれらを囲む四隅には朱雀・青龍・白虎・玄武の四神旗が立てられました。残念ながらこの写真では青龍、玄武の幢幡は各々朱雀・白虎の背後に立っているため見ることができません。下の写真を参考に
 ※四神とは朱雀=南、玄武=北、青龍=東、白虎=西 の各々の方角を守る中国由来の空想上の動物です。
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こちらが白虎の旗を拡大したものです。
 






こちらが見えてなかった玄武の旗です。
  



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 重い大木や瓦など、藤原京の造営資材の運搬のために酷使された牛・馬の骨が多数出土しています。
 牛にかけられていたくびき(軛)も発掘されていました。(この写真では牛の頭部の石膏模型にかけられています。)
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発掘された柱の一部

 鉄製の釘などの接合部材も種々見つかっています。




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日高山の瓦工場

  藤原京のすぐ南にある日高山では、9基の窯跡がみつかっています。この模型では、そのうち西側の4基を復元しました。
向かって左の4号窯は壁や天井を修理している様子、そして右へ順に生瓦の窯づめ、焼成(しょうせい)、窯出しの各作業の様子を復元して示しました。

 丘の下からは井戸や溝が見つかっているだけですが、、近くには瓦をつくる建物や瓦干し場があり、粘土や薪も積み上げてあったでしょう。ここでは、軒丸瓦5種類、軒平瓦1種類、丸瓦、平瓦、のし瓦、めんど瓦など多くの瓦をつくっていました。




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壺や瓦などを成形・焼成していた工房のジオラマです。

 




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部分拡大したものです。

 




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部分拡大したものです。

 




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藤原京の格子形の街路の配置を示す大型の地図です。
(中国の都城の「条坊制」を採用)

 藤原宮は「大和三山」に囲まれる形をとり都城の真ん中に位置しています。
 中国の王都では都城の北辺に宮殿が置かれており、次の平城京では、その中国スタイルを採用しています。藤原京での宮殿の位置は日本独自のものです。




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貴族の食事

 材料豊富で、とくに宴会の食事はたいへん豪華。真鯛、鮑のウニ和え、鮎、古代のチーズともいえる蘇(そ)、心太(こことぶと・寒天)、そしてデザートの果物なども膳に並んだ。山海の珍味だが、栄養の過剰摂取で、成人病に悩むことも多かったろう。
 メニュー
 主食   白米
 副食   わかめの汁/鮎の煮つけ、ゆでたせりつき/
 鯛のあえもの/鮑のうにあえ/心太(酢醤油で食べる)/枝 豆/瓜の粕漬け/しょうがのす漬
 飲物   清酒(きよさけ)
 デザート   蘇(チーズ)/果物(くるみ、うめ、びわ)
 調味料   酢/塩




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下級役人の食事

玄米の主食に煮魚やなますが付くことがある。酒はかす酒だが、楽しみの一つ。宮内からは、給食や宴会に使った土師器・須恵器の食器が 大量に見つかっている。
メニュー
主食  玄米
副食  青菜(あさつき)の味噌汁
 いわしの煮付け
 かぶの酢の物
 きゅうりの塩漬
 糟湯酒
調味料  塩




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庶民の食事


都での労役に地方から藤原京へかり出された農民達の食事は、玄米に塩、それに湯がいた青菜や山菜がつく程度の貧しいものだった。栄養失調で行き倒れる人も多かった。単身赴任で経費は送り出した村の負担。
メニュー
主食  玄米
副食  あらめの汁
 ゆでたのびる
調味料  塩




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富本銭(ふほんせん)の鋳造復原

 富本銭は銅にアンチモンを10%前後配合した特殊な合金で作られている。
この成分に合わせて富本銭の鋳造復原実験を行った。再現した富本銭は、金色を帯びた淡く美しい銅色の輝きを放っている。鋳型から取り出した枝銭は、切り離す前のプラモデルの部品が並ぶ姿に似る。

 銭貨の誕生  -富本銭と和同開珎-
 藤原京も終わりに近い708(和銅元)年、和同開珎が鋳造された。これまで、この和同開珎が日本最古の貨幣とされてきたが、1998~99年の飛鳥池遺跡の発掘調査で、和同開珎に先行する銭貨「富本銭」と、その鋳型が出土し、富本銭が我が国最古の鋳造貨幣であることが判明した。7世紀後半には、銀の地金が貨幣として流通し始め、「無文銀銭」と呼ばれていたが、富本銭はこれにかわる中国式の鋳造貨幣として誕生した。富本銭は藤原京造営、和同開珎は平城京造営という国家プロジェクトにともなって鋳造された。
 
 さらに2007年の藤原宮大極殿院南門の調査では、須恵器の平瓶(ひらか)に水晶と富本銭各9点を収めた地鎮際のための壺が出土した。使用されていた富本銭は、字体が飛鳥池遺跡のものとは異なる新種のものであった。『日本書紀』や『続日本紀』には、694(持統8)年3月と699(文武3)年12月に「鋳銭司」の任命記事が見られることから、藤原宮内の官衙(かんが)でも富本銭が鋳造された可能性が高まっている。

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食材や調味料です。





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干物や干しわかめ、土器、糸、布など

 これらの品々は、「調」(地方の特産物や、布、糸などを収める税種目)として納品されたもの。
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大和三山の姿が、平野部の中にくっきり浮かび上がります。

 いずれも低山です。北東方向から眺めた姿で、
左から 香具山、畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山です。
最も有名で、古代歌人からも愛された香具山が最も低く
形も他の2山と比べ、くずれて見えます。
畝傍山の背後の高い山は葛城(かつらぎ)山です。
修験道の発祥地として有名です。
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 藤原京は、遷都の年(694年)からわずか16年後の710年に平城京jへ再遷都することとなりました。
 藤原宮の建物の柱などの建材は平城宮へ運ばれ、新たに加工を施し再利用されていました。平城宮跡から発掘されたそのような柱が、今回藤原京復現のために再び藤原京跡地へ持ち込まれ里帰りを果たしました。




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 柱に彫られた臍の部分(差し込み部)が再利用の際に塞がれた跡がみてとれます。




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 藤原京に王都が置かれた頃、国交の再開をもとめ新羅使が来日、藤原京も訪れています。これらの発掘品は新羅使のもたらしたものとも考えられます。それにしても重厚な硯(すずり)台です。




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香具山の銘の入った焼き物です。





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 藤原宮跡の発掘現場の写真です。
建物の柱穴や石だたみの復原が行われています。





藤原京跡
 

香具山
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資料館を出て、藤原京跡を巡ります。


まず、 香具山ですが、先述したように
あまり形がよくない低山ですが
古代人に最も愛でられた山です。




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耳成山(みみなしやま)

小ぶりで、最も形のよい山で、藤原宮の背後(北)に位置します。




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畝傍山(うねびやま)

 家並みの背後に姿をあらわします。麓には神武天皇御陵や橿原神宮が明治以降に造営され、神宮鳥居前には参拝者相手の商店が連なり、大和三山の中で最も賑やかな街が隣接します。




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史跡・藤原京朱雀大路跡

 由来を記す木製の看板が、掲げられています。
この種の標示物としては、古いものの一つです。




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発掘現場です。

 損傷を防ぐためにシートが被せられています。




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藤原宮跡

 こちらも由来を記す木製の看板で、藤原宮の位置を示す地図が貼られています。




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建物の跡地

 礎石柱を再現しています。




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近づいてみました。

 




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コスモス祭り

 本日は、藤原宮跡地近くの畑地で、コスモス祭が開催されており、鑑賞に訪れた人々が憩うスペースが設けられています。




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コスモスが咲き誇っています。

 




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今日のお供のスザナも、コスモスを前にゴキゲンです




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藤原宮跡を離れ北に針路をとります。



 15分ほどで大神(おおみわ)神社、大鳥居前にたどり着きました。背後の三輪(みわ)山がご神体です。




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 三輪山を背後にして立ち、盆地の西を画する夕刻の二上山(ふたかみやま)を眺めます。以前訪れた際には、夕焼けに浮かぶ鮮やかなシルエットが印象的で、今回も期待したのですが、、、今日は、一日どんよりとした天気で遠景はご覧の通り、今ひとつでした。残念です。見晴らしのよい天気であったなら日中葛城山に登るつもりでした。それも断念しており、なんとなく不満の残る奈良飛鳥訪問となりました。






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ご一報ください。→:こちら!
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公式サイトを参考にしました。


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今日もお出で頂きありがとうございました。
よろしかったら 次回もお付き合いください!


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