No.853-1 聚楽園大仏
No.853-1 Syurakuen-Daibutu
Aichi-Ken / Beautiful Japan
Photo14pieces/GreenSeason
◆しあわせ村
◆山田才吉
◆守口大根
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しあわせ村という公園の中にある大仏は、コンクリート製ですが、1985年(昭和60年)に銅色に塗り替えました。
この大仏は、名古屋の実業家・山田才吉氏が昭和天皇御成婚を記念して昭和2年(1927)に建立。
当初一般の寄付を求めましたが、資金が集まらず私費を投じました。
高さ18.8mの鉄筋コンクリート製で、建立当時は日本一の大仏ということです。
信仰としての建立ではなく、観光的な目的が強く、才吉没後1938年には競売に出され所有者がかわり1983年(S58)曹洞宗大仏寺の所有となり、1997年(H9)、聚楽園公園周辺は、しあわせ村として東海市が整備しています。 |
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山田才吉=1852年-1937年1月31日美濃国出身の実業家
板前などを経て名古屋の熱田・大須に店を構え、1880年(明治14年)には末広町(現在の栄)の若宮八幡社北隣りに漬物屋「きた福」を開店。この頃に守口漬(守口大根の味醂粕漬)を考案したとされ、これが評判を呼んだ。1884年(明治17年)には日本缶詰を立ち上げて愛知県下で初めて缶詰製造販売に参入。日清戦争・日露戦争で大量の軍用缶詰の注文を受けて更なる財を為した。
中京新報の創刊や熱田電気軌道の設立にも関与し、名古屋商工会議所議員のほか、名古屋市会議員・愛知県会議員を務めた。また、複数の観光施設の経営を行なったことでも知られる(後述)が、これが原因となって晩年には借金にも追われた。1937年(昭和12年)1月31日没、享年85。墓所は千種区の大龍寺にある。
なお、才吉が創業した「きた福」は同店から暖簾分けした「松喜屋」に屋号など含めて生前に売却され、「喜多福総本家」として21世紀の現在も守口漬の製造販売を続けている。
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-ウィキペディアより-
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仁王様が白目をむいて、
悪者から私たちを守ってくれそうです。 |
名古屋鉄道聚楽園駅東の高台に鎮座し、松林の間に遠望できる景観は、すでに約八十年に亘ってこの地を往来する人々の心に、「聚楽園の大仏様」として親しまれてきた。この大仏寺の境内に立てば、万葉の歌枕「あゆち潟」が遠望され、近くに、「知多の浦」「可家の湊」も望見される景勝地であった。
今は、大工場の進出によって、眺望はかなり悪化したとはいえ、尚その価値を無視することはできない。昭和58年11月24日、本市文化財として指定され、翌年9月より大がかりな補強修理が行われた。 |
-文化遺産データベース HPより- |
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広いしあわせ村を散策しましょう。 |
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