853-2 豊川稲荷
愛知県(Aichi-Ken)
11/06/135 Mon.


お気に召さないときは止めてください。

♪「Solace」S.Joplin
ピアノバージョンです♪

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No.853-2 豊川稲荷
No.853-2
Toyokawa Inari
Aichi-Ken / Beautiful Japan
Photo:26pieces/GreenSeason
◆築山泉水式庭園
◆豐川閣妙嚴寺山号を圓福山
◆圓福山
◆稲荷ずし
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納付堂
奥の院
景雲門
子育て地蔵尊
豊川稲荷
豊川稲荷は「豐川閣妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。

 一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像しますが、ここでお祀りしているのは鎮守・豊川だ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。豊川だ枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐にまたがっていることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っています。

景雲門(けいうんもん)
 安政5年(1858年)の建物で旧奥伝の院の拝殿であったが、昭和5年大本殿の落慶にあたりここに移築して奥の院参詣の門となった。
この門にも名匠諏訪ノ和四郎の優れた彫刻を見ることができる。
立札より
三重塔
庭園
 書院の庭園として江戸時代に造られたものである。
池を設け芝生の築山を置き、空滝を作り、主として山麓、池、汀、石庭を組み立て、庭木はそてつの群植及びさつき、くちなし、さざんか、茶等の刈込みものをものを主体とし、松、もみじ等の植え込みを背景とする。
この地方における誠に優秀な築山泉水庭園である。
-立札より-
豊川稲荷門前には
稲荷ずし屋さんが軒をつらねています。


本殿

本殿
豊川稲荷
稲荷といえば キツネとおあげ
お賽銭箱の横に おあげが供えてありました。




みこし殿

法堂(はっとう) 通称本堂
 今から550年前東海義易禅師(とうかいぎえきぜんじ)によって創立されて円福山妙厳寺(えんぷくざんみょうごんじ)の中心を占める建物で寒巌禅師(かんがんぜんじ)が自ら刻まれた千手、千眼観世音菩薩(せんじゅ、せんけんかんせおんぼさつ)の尊像を本尊仏として奉祀している。
 建物は総檜二重屋根瓦葺で重厚な外見を示す。内部は禅宗寺院特有の簡素な構造で朝、昼、晩の勤行(こんぎょう)、仏寺(ぶつじ)、法要、説教が随時行われる。
内部正面には浄聖台(じょうしょうだい)の額が、外部正面には大本山総持寺独住第一世奕堂禅寺(えきどうぜんじ)が揮毫(きごう)した「妙厳禅寺(みょうごんぜんじ)」の篇額(へんかく)が掲げられている。
 現在の建物は、天保時代24世の住職によって新築されたものである。
この建物に続いて開山堂があり、宗祖道元禅師(しゅうそどうげんせんし)はじめ、寒巌禅師(かんがんぜんし)、当寺の開祖東海義易禅師、歴代住職、諸大和尚の尊像霊牌がお祀りされている。
 尚釋尊のご分骨を奉安した舎利塔は国宝級の宝物で毎年12月初旬舎利供養が営まれている。 
山門
山門
 天文5年(1536年)今川義元公が寄進した建物で当寺の現建物中最古の建物である。
又唯一の丸瓦葺(まるがわらぶき)造りの屋根の形をしている。
 寛政5年(1792年)に修理し更に昭和29年春、かなえ講の協賛によって大修理が行われた。
 左右の阿吽(あうん)の仁王像は昭和41年 篤信者(とくしんしゃ)によって寄進されたものである。
立札より
鐘楼堂
昭和12年春改築。
梵鐘は戦中、国に徴用されたため
昭和20年12月8日改鋳造したものです。
総門
明治17年4月10日改築
総欅造り、銅板コケラ葺き。
門扉は如輪目の欅一枚板の逸品です。



帰り道、厚い雲の下に
富士山が見えました。

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