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常設には何度か行っていますが、ジオラマの江戸の町が私にとっては
目新しい展示でした。
こちらは撮影OK。展示物によってはフラッシュもOKなものもあり、多少
収穫はありました。 |
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寛永の町人地
日本橋を下った場所にあるのが江戸時代初期にあたる寛永年間(1624~1629年)の、日本橋付近の町の様子を1/30スケールで再現したジオラマです。 |
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和洋折衷住宅
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和洋折衷住宅
Housing with Japanese nad Western style rooms
復元年代/昭和10年代 福本収子氏寄贈
この建物は、大正初めに建て替えられ、その後、1,937年(昭和12)大熊喜英の設計によって改築された住宅(品川区東五反田)の一部を移築・復元したものである。
「食堂兼居間」は、大正から昭和初期に流行した山小屋風で、となりの和室との仕切りには、カーテンと襖(ふすま)をつかうことで違和感をなくしている。照明具や家具も部屋と調和するよう、大熊がデザインを担当した。 |
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凌雲閣[十二階]
<十二階>の名で親しまれた凌雲閣(りょううんかく)は、英国人の技師ウィリアム=K=バルトンの設計によるもので、1890年(明治23)落成した。浅草のシンボルとして土産絵(みやげえ)にも登場し、関東大震災で倒壊するまで多くの人々でにぎわった。高さは220尺[約67メートル]といわれ、10階までは八角形の総煉瓦造り、その上は木造だった。中には世界各国の品物を売る店や休憩室があり、11・12階には眺望のため望遠鏡が備えられた。8階までは、日本で初のエレベーターが設置されたが、後に危険性が高いとして、運転が中止された。開業時の縦覧(じゅうらん)料は、大人8銭、軍人・子どもは半額であった。
復元にあたっては、当時の写真や錦絵をもとにした。 |
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電気館
1903(明治36)年に日本初の映画封切館として誕生した建物です。この界隈は、活動写真小屋が多かったことで知られていますが、この電気館が先駆け的な存在となっています。 |
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博物館内の売店
以下 過去に訪問したページです。
内容はダブらないよう掲載しました。
558 江戸東京博物館
617 ジオラマで訪ねるなつかしい町並みと鉄道
動画 なつかしい町並みと鉄道
(動画は↑ウインドウズ以外ご覧になれない場合あります)
619 大鉄道博覧会 江戸東京博物館 |
場外展示<博物館の上>:博物館を出て大江戸線の近くに設置されていました。
汐留遺跡にみる 江戸・東京
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溶鉱炉
Excavated blast furmaces
溶鉱炉はレンガを積み上げ、燃焼部の周囲は耐火レンガで組んでいる。
燃焼部の下部は灰落とし部に繋がり、窓が付き、手前には灰を掻き出す一段低い作業場が設けられていた。5基並ぶ炉は、一番東側が増設されたもので、これらの炉の底部には燃料を載せるために鉄棒が渡されていた。
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鋳物場と溶鉱炉
Excavated the foundry and the blast
日本で最初に作られた西洋式溶鉱炉の一部を切り取り、保存した。長方形のレンガ造り鋳物場の一画に、鋳物を製造する溶鉱炉が設置された。新橋駅構内には鉄道施設を維持・管理するための技術を、日本人に指導する外国人技師が居住していた。 |
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溶鉱炉の中や、近くから出土した金属製品類
Metal relics excavated from the vicinity and inside of the blast furnaces
坩堝(ルツボ)は焼却部中に設置された形で発見された。溶鉱炉や鋳物場跡からは、鉄道に関する金属製品をつくる原材料の銅、鉄、インゴット、銅管などが出土している。 |
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水道管
Water pipe from wooden pipe to iron pipe
-木樋から鉄管へ-
都市江戸には自然流水を利用した上水道が敷設され、汐留地域には多摩川上水が引き込まれていた。上水は地中に木製の水道管(木樋もくひ)をつなぎ、上水井戸から水を汲み上げて利用した。明治に入っても玉川上水は利用され続けたが、木樋は腐蝕しやすいため、ベルギー製鉄管が上水井戸に接続された。こうした上水は20世紀に入るまで、改良されつつ利用されていた。 |
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木樋(もくひ)
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