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7日(土曜日)午後2時ごろ家を出発、4時神奈川県湘南平展望台着
ふもとの公園では、桜が満開でしたが、
300mほどの小山の上の展望台は風が冷たく、
涙がポロポロ止まりません。
さくらも殆どがまだつぼみで、
期待していた富士山も曇って姿を見せません。
富士山と満開の桜の画像を撮る予定でしたが、
ちょっと当てが外れました。
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曇って富士山が見えないので、相模湾方面の景色を楽しみましょう。
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相模湾の左を見ると、向こうに見えるのは、三浦半島 |
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カラフルな建物や屋根の色が
おしゃれで外国の風景に見えました。
家並みの向こうは 防風林
その先は相模湾です。 |
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右を見ると、相模湾の向こうは
熱海、伊東でしょうか。 |
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風が冷たく、涙がポロポロです。
展望台の建物で少し退避しました。 |
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ふもとでは満開だった桜ですが、
300m上った小山の上は 気温が低いせいか
つぼみがたくさん残っています。 |
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湾の向こうは 伊豆半島 |
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湾の向こうは 三浦半島 |
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富士山は見えません
手前の山が見えるだけでした。 |
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相模湾とさくら |
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日本山岳界の先駆者 岡野金次郎
岡野金次郎は明治7年(1874)現在の横浜市保土ヶ谷区で生まれました。後に日本山岳会初代会長となる小島烏水(うすい)とは、明治27年の徴兵検査で出会いました。
明治35年(1902年)、岡野と小島は日本人登山家として初めて槍ヶ岳への登頂を果たしました。その翌年、岡野らは自分たちより前に槍ヶ岳に登ったウォルター・ウェストンと出会い、日本にも山岳会をつくることを勧められます。これが日本山岳会の設立につながりました。
昭和15年(1940年)、平塚に移り住んだ岡野は、昭和20年に戦災に遭い、平塚を離れますが、昭和28年には再び平塚に戻ります。そして、昭和33年に亡くなるまで、平塚に住み続けました。
富士山が好きだった岡野は、散歩に出かけては平塚海岸や八幡山から富士山を眺めていたといわれます。
平成17年(2005年)3月 平塚市 |
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満開ではなかったけれど
寒い中 きれいな桜が観られました。 |
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湘南平展望台付近に咲いていた花たち |
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展望台
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