');
--------------------------------------
神田明神 2013年5月訪問レポート
. 〃 2011年2月j訪問レポート
〒101-0021 東京都千代田区外神田 2-16-2 TEL=03-3254-0753 御祭神=大己貴命(おおなむちのみ・大黒様) . 少彦名命(すくなひこなのみこと・恵比寿様) . 平将門命(たいらのまさかどのみこと) |
JR | 中央線・総武線 京浜東北線・山手線 |
御茶ノ水駅(聖橋口より徒歩5分 秋葉原駅(電気街口)より徒歩7分 |
Metro | 丸の内線 千代田線 銀座線 日比谷線 |
御茶ノ水駅(1番口)より徒歩5分 新御茶ノ水駅(B1出入口)より徒歩5分 末広町駅より徒歩5分 秋葉原駅より徒歩7分 |
駐車場 | 参拝者駐車場 |
当神社の神田祭は、江戸っ子の『粋』と『いなせ』と『勢い肌』の象徴でありました。江戸小唄の中には神田祭は随所に取り入れられています。この憧憬もあって、大正・昭和の小唄作曲に大きな足跡を残された吉田草紙庵(本名吉田金太郎)を、緑あるこの地に顕彰し、31年3月に小唄作詞家の市川三升・英十三・宮川曼魚の三長老(小唄作詞家グループ火星会の前身閑吟会を結成し後輩の指導に当った)により小唄塚は建立された。 その後昭和62年6月に、小唄火星会をはじめ小唄作詞家協会の人々の発起により、小唄塚建立30周年を記念して、作詞家を讃え、顕彰すべく小唄作詞塚が建立された。 ここに、小唄の両輪である作詞・作曲双方の塚を揃え顕彰することができました。 |
御祭神=建速須佐之男命 祭礼日=6月6日 小舟町八雲神社は、最初日本橋にあった伝馬町の一つ小伝馬町が宮元となっていましたが、のち魚問屋仲間が祭礼費用を賄うなど神社の活動の関与しちきましたその後は、彼らが集住していた小舟町の人々により崇敬され今日に至っています。 |
大伝馬町八雲神社は、江戸時代には祇園牛頭天王社(一の宮)と呼ばれ、当地に祀られていた地主神でした。 |
この神社は、往古江戸平川の河口に近き一漁村の住民により祀られ、天正年間(1573~)徳川家康公江戸入府に当り城下町整備に際し鎌倉町の成立と共にその守護神として勧請されました。寛政9年(1797)同町の崇敬の念篤き大工職平蔵により、社殿が造営され、爾来、浦安稲荷社として伝えられています。 その後天保14年(1843)8月、町割改めに際し神田明神社御境内に遷座、さらに明治維新及びその後の戦火災に依り復興できぬ内神田稲荷社五社を合祀し今日に至っている。 |
江戸時代に関方された、上の神々は、関東大震災・戦災により社殿を焼失し、以来神田妙神社の本殿を仮御座として奉斎されてまいりました。 「平成の御造替事業」の締め括りに、7社の御神霊を奉鎮する「合祀殿」として新たに御造営いたしました。 |
〒113-0034 東京都文京区湯島 3-2-6 TEL=03-3833-7648 御祭神=倉稲魂命(うがのみたまのみこと) . 日本武尊(やまとたけるのみこと) . 弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと) |
JR 丸の内線 |
御茶ノ水駅 聖口 御茶ノ水駅 1番出口 |
徒歩10~12分 |
千代田線 | 湯島駅 5番出口 | 徒歩10~12分 |
銀座線 | 末広町駅 4番出口 | 徒歩8~10分 |
丸の内線 大江戸線 |
本郷3丁目 | 徒歩15~17分 |
駐車場 | なし |
旧く怨霊の活動を鎮めるため御霊鎮祭が行われるようになり、特に著名なものは貞観5年(863)の神泉苑での御霊会(ごりょうえ)とされている。これを契機に華やかな祭礼が営まれるようになった。 奈良時代から平安時代(710~1192)にかけては都を中心に盛んになり近世にはいると旅の宗教家によって各地方に御霊信仰が説かれて広がりをみせるようになった。六所御霊または八所御霊の名称があるが、御霊は習合する傾向をもち中小御霊は、より強力な御霊に統合されるという教義から出た名称である。 当御霊社は縁起によると旧く御霊八所神社と呼ばれたが大正12年に御霊神社と改めた。通俗には「畑の稲荷」と呼ばれ祭神は崇道天皇、井上皇后、他部親王、火雷神、橘逸勢、吉備大臣、文屋宮田丸、藤太夫人の八座で合殿に與財恵門稲荷並に大己貴神を祀っている。 宝永7年(1710)輪王寺宮の御隠殿を当所に営ませる時に上野より移されたものである。 現在の社殿は太平洋戦争により灰燼に帰したるものを戦後、仮殿として復興し、さらに今般本社殿の建立となったものであり、例年大祭を毎年9月18日に執り行う。 1973年1月 -文京区/文京区観光協会- |
当神社は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。 その後明治に入り、神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり(1872年)、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。その後、1945年に第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。1962年に現在の社殿が再建される。 現在でも地域の人々などから信仰を得ている。 |
力石(新宿区指定有形民俗文化財) 祭礼の時などに村人が力比べをし、その石を奉納したもの。 市谷八幡宮の力石は、合計7戸が保存されている。 年代のわかるものでは、寛政6年(1794)を最古とし その他も江戸時代後半のものと考えられる。 ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
HOME C067 お岩さん稲荷・神社 << >>c069 K I T T E . BACK |