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所在地=〒359-0042 埼玉県所沢市並木1丁目13番 お問合せ=TEL:04-2996-2225 / FAX:04-2996-2531 休館日=月曜日(休日の場合翌日) 開館時間=9:30~17:00(入館は16:30まで)
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車/関越自動車道 所沢ICから国道463号線を所沢方向へ約6km 電車/西武新宿線「航空公園」駅下車東口より徒歩8分 |
フランス科学院の委託を受けて水素気球の開発を始めたシャルルは、ロベール兄弟の協力を得て、わずか10週間で直径4mの実験気球「グロブ号」を製作し、1783年8月27日、パリの群集が見守る中、実験に成功した。12月1日にはチュイルリ公園で新たに製作した直径7.9mの気球にノエル・ロベールと共に乗り込み、ガス気球による初の有人飛行に成功した。2時間の飛行の後、43km離れた原野に一度降下し、ロベールが降りると軽くなって再び舞い上がった気球でシャルルは単独飛行をし、高度約3,000mまで到達した。 |
1911(明治44)年4月13日、徳川大尉の操縦で、滞空時間1時間9分30秒、距離80kmの当時の最大記録を作る。 1913(大正2)年3月28日、木村、徳田両中尉搭乗、所沢、東京間野外飛行の帰途、所沢上空で空中破壊、両中尉はわが国最初の犠牲者となりました。 ◆発動機:グノーム空冷式回転星形50馬力 ◆座席:2 ◆全備重量:550kg ◆最大速度:90km/h ◆航続時間:4時間 ◆全幅:11.00m ◆全長: 8.80m ◆全高: 3.40m |
海軍造兵中技師・奈良原三次は、1911(明治44)年5月5日、自ら製作した奈良原式二号機を操縦し、所沢飛行場で国産飛行機の初飛行に成功しています。高度4m、距離60mの飛行でした。その後民間航空に専念するために海軍及び臨時軍用気球研究委員会を辞して、1912(明治45)年3月に四号機(鳳号)を完成させ、所沢飛行場で飛行しています。 |
当機は1910(明治43)年12がつ、徳川好敏大尉の操縦により日本で初めての動力飛行を記録したのち、翌1911(明治44)年には日本初の飛行場である「所沢飛行場」(現在の所沢航空記念公園」)に備えられ、飛行訓練などに活躍しました。 この記念すべき「アンリ・ファルマン機」の実機を航空自衛隊からの貸与を受けて 2019年8月1日より12/1まで公開しています。 日本初の動力飛行を果たした飛行機 1910(明治43)年12月、まだ専用の飛行場すら完成していなかった日本では旧陸軍の演習場「代々木練兵場」を用いて飛行実験が実施され、徳川好敏大尉の操縦するフランスから輸入された「アンリ・ファルマン機 1910年型」と日野熊蔵大尉の操縦するドイツから輸入された「ハンス・グラーデ1910年型」がともに日本初の動力飛行を記録しました。 それから4か月後の1911(明治44)年4月、町に舞った日本初の飛行場「所沢飛行場」が現在の埼玉県所沢市に開場します。ここ所沢での初飛行は徳川好敏大尉の操縦する「アンリ・ファルマン機」が高度10m、飛行距離800m飛行時間1分20秒を記録これを皮切りに所沢では操縦訓練、整備訓練、更には飛行機の製作や開発に至るまで日本の航空教育と技術の中核を担うようになり、所沢から多くのパイロットや航空に拘わり人々、そして技術が日本柱に広がっていきました。そのため所沢は「日本のこうっく発祥の地」と呼ばれています。 |
主要諸元(原型) ◆型式:1910年型アンリ・ファルマン(複葉複座式) ◆エンジン:グノーム50馬力7気筒 星型回転式 ◆全幅:10.5m(展示機:10.8m) ◆全長:12.0m(展示機:10.5m) ◆重量:約600kg ◆水平速度:65km/h ◆航続時間:4時間 ◆製造国:フランス |
1910(明治43)年12月、ライト兄弟の世界初飛行に遅れること7年、日本もいよいよ空の幕開けを迎えることとなった。場所は東京の代々木練兵場(現在の代々木公園)、12月14日、陸軍歩兵大尉日野熊蔵操縦によるハンス・グラーデ機が、2mの高さで距離100mの飛行に成功した。ただしこれは、翌日以降に予定されていた予備飛行・本飛行のための地上滑走試験での出来事だった。そして19日の本飛行では、陸軍工兵大尉徳川好敏操縦によるアンリ・ファルマン機で、飛行時間3分、距離3.000mの公式初飛行に成功した。 |
全幅:32.9m 全長:23.3m 全高:6.6m 自重:13.6t エンジン:プラット・アンド・ホイットニー社製 空冷:18気筒星型 2,000hpx2基 最大速度:433km/h 上昇限度:8.400m 航続距離:2,200km 乗員:5名、輸送人員:50名 |
C-46中型輸送機は、アメリカのカーチス・ライト社が1940年3月から総機3,180機を製造しました。当初は軍用輸送機として使用されていましたが、戦後は数多くが民間旅客機として使用されました。 日本では、昭和30年1月航空自衛隊の輸送機としてC-46D型機を初装備し、昭和34年12月にはC-46A型機を輸入して総機47機を保有していました。この輸送機は『空のデゴイチ』とも呼ばれ、航空自衛隊では災害時の緊急物資輸送、空挺隊の訓練、兵員輸送などに広く活躍しました。 ここ所沢航空記念公園に展示しているC-46A輸送機は、航空自衛隊入間基地で使用されていたものを、昭和55年3月に分解、輸送し、当公園のシンボルとして設置したものです。 |
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