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所在地=〒271-0092 千葉県松戸市松戸714-1 TEL=047-362-2050 休館日=月曜日(祝日の場合は翌日)、12/28~1/4 . 歴史館のみ:展示替え期間 開館時間=9:00~16:30
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JR常磐線『松戸』駅東口下車 徒歩10分 |
松戸市 戸定(とじょう)歴史館を訪問しました。 |
当邸は、第15代将軍慶喜公の舎弟である水戸家第11代藩主徳川昭武公が明治17年に松戸別邸として建てられた近世武家屋敷造りの建物である。公は二十数年間を当邸に過ごされ、明治21年には子息武定公をもうけられた。この間明治35年4月22日には後に大正天皇となられた皇太子の行啓を仰ぐなど 多くの皇族方も長期に渡って滞在された由緒ある屋敷である。 なお庭園は、慶応3年パリで開催された万国博覧会に将軍代理として渡欧された昭武公が心をひかれた洋式庭園の長所を採り入れて造園した当時としては画期的な庭園である。 昭武公の子息武定公は子爵を賜り工学博士号を得て後に海軍技術中将に累進し潜水艦の最高権威として著名な方で当邸に永く居住されていたが 昭和26年公は当邸を市民の文化施設として利用して欲しいという意向をもって敷地二千百余坪 建物238坪を市に寄贈された。 市は地名にちなみこの施設を戸定館と命名した。 ここに徳川家の御厚意を後世に伝えるためこの碑を建立顕彰するものである。 |
水戸藩主・斉昭の18男。兄の慶喜は、13歳の昭武を将軍家へ迎え、将軍候補の身分を与えて、1867年パリ万国博覧会へ将軍名代として派遣しました。仏国との連携で幕府の窮地を打開するためでした。昭武は仏国以外にも5か国を歴訪して各国元首と交流しました。各国の新聞は昭武を次期将軍の有力候補として紹介しました。明治維新による帰国後、最後の水戸藩主となりましたが、既に幕府は存在しません。彼は幻の将軍となったのです。 その後、パリ再留学の後、天皇から定期的に拝謁を賜る麝香間祗候(じゃこうのましこう)となり、29歳の時に隠居。華やかさを求めず実質を重んじた彼の生涯は、その美学が投影された建物や庭園、趣味であった写真などの文化財を残しました。また、作庭家としても高く評価されています。 |
江戸幕府15代将軍。将軍在位1867.1.10~11.10。 水戸藩主・斉昭の7男。9歳の時、将軍の意向により将軍家に迎えられ、有力な将軍候補となりました。政治及び外交交渉で卓越した手腕を発揮し、衰退した幕府を蘇らせるため、フランスと連携した外交、軍事、行政、経済面での改革を強力に推し進めました。その姿は、木戸孝允から家康の再来を見るようだと評される程でした。 しかし、時代には抗いがたく、1867年11月9日、政権を朝廷に帰すことを建白し、翌日勅許を得て、幕府の政治に終止符を打ちました。鳥羽伏見での敗戦後は、一時死罪宣告を受けますが、恭順路線を貫きました。維新後、静岡で30年間隠棲し、1898年に明治天皇に謁見、実質的な名誉回復をとげました。1902年には国家への偉勲により公爵を授けられました。変革の当事者が引き受けなければならない重荷を体現したかのような人生でした。彼が残した油絵、刺繍、写真など数多くの作品は貴重な文化財となっています。 |
表座敷棟と奥座敷棟に南北を挟まれ、東側に台所棟があります。開口部は西側だけなのに、日当たりはよくありません。また、来客や昭武の部屋にある長押(なげし)もないので、それらよりも格下の建物であることが判明します。何らかの目的のため、空いているスペースに少し無理をして増築したのでしょう。 戸定邸では昭武の子供6人が生まれました。子供全員が常に戸定邸に住んでいたわけではありませんが、子供が増えれば部屋が必要になります。当初は子どものために増築され、その後、衣裳部屋、化粧部屋として使用されたのが中座敷棟ではないかと考えられます。 |
高松宮喜久子妃殿下が徳川慶喜家から高松宮家に嫁ぐ際にととのえた婚礼調度の一つです。徳川慶朝氏のご好意により、皆様にご覧いただいております。 |
中座敷棟前に置かれていた鉢です。1906年(明治39)1月に徳川昭武が撮影した写真に写っています。 金魚を飼ったり、睡蓮を育てるのに使われていたのでしょう。 このたび、戸定邸庭園が国の名勝に指定されたこと(2015年)を記念して、松戸徳川3代当主徳川文武氏(昭武曾孫)より寄贈されました。 |
明治維新により、徳川家は権力の座を離れました。明治以降の近代徳川家の住まいと庭園が一般公開されている唯一の場所が戸定が丘歴史公園です。 江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の弟・昭武は1884年4月に戸定邸の座敷開きを行い1890年末に庭園の整備を終えました。かつて7万㎡を超えていた敷地の約3分の1が、現在、戸定が丘歴史公園となっています。園内には戸定邸を公開していると定歴史館やお茶室の松雲亭があります。 江戸川や富士山を望める標高25m程の園内には昭武が運び上げたコウヤマキやヒヨクヒバの巨木が残り、ウメ、ベニシダレザクラ、鉢植えの藤など四季折々の花を楽しむことが出来ます。緑豊かな園内は鳥の鳴き声が絶えません。 |
しもふさの松戸におほく楽しみて 少なく愁ふ花のかたはら -与謝野晶子- ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
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