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2001年1月の江戸東京たてもの園
訪問レポートはこちら
小出邸 |
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江戸東京たてもの園 インフォメーション
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植物の陰影 |
東京都指定有形文化財 |
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室内は和室 |
小出邸:
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堀口捨巳:
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台所 台風一過、 小出邸と堀口捨巳《特別展》が開催されている、 江戸東京たてもの園を訪ねました。が、 3日ほどフライング、10/16からでした。 台風の被害状況がよく分かっておらず、 たてもの園前の公園は小さな子供連れでにぎわい、 駐車場に入るために 数十分待ちました。 往きの高速は空いていましたが 帰りは、高速を利用せず、都内を走ると、 いつもの活気を取り戻していました。 |
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お風呂場 脱衣室は2畳の畳の部屋がありました。 |
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見どころの応接間 建物に合わせて設計された家具という事ですが わかりづらいですね。 写真の切り撮り方が悪かったようです。^^* |
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和室 収納が使いやすそうです。 |
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屋根裏収納 |
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トイレ |
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田園調布の家(大川邸) |
東京郊外ののどかな農村に「田園都市」を建設しようとしたのは、1918年(大正7)実業家、渋沢栄一が設立した「田園都市株式会社」でした。産業の発展に伴い都市の住環境が悪化したため、環境の良くない都市を脱出し、郊外に自然に囲まれた住宅地を作ろうという「田園都市」構想は、19世紀末から20世紀の初めにイギリスで考えられました。日本でも明治末頃から、都市への人口集中が始まり、鉄道の敷設とともに郊外住宅地の開発が始まりました。 この「田園都市株式会社」は 洗足地区、大岡山地区、多摩川台地区(現在の田園調布)などの開発を手掛けました。多摩川台地区の土地の分譲は1923年(大正12)に始まりましたが、関東大震災の影響から都市を離れ郊外に移住する風潮も生まれ分譲地の売れ行きは好調でした。 |
日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。 |
靴のまま入室できる西洋式住宅で、1F部分は明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎が自邸として設計したと伝えられます。 |
この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910年 (明治43)頃、ドイツ人建築家ゲオルゲ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わり、1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。 |
喫茶室
江戸時代、八王子に配備された徳川基の家臣団です。拝領屋敷の組頭の家は、周辺の農家と比べると広くはありませんが、式台付きの玄関などは、各敷居の高さを示しています。 |
江戸時代から昭和40年代頃まで、東京都内の農地で数世代以上にわたり栽培されていた固定種(自家摘種した種子からほぼ同じ形質が育つ野菜を言います)それぞれの野菜にはさまざまな物語があり、味や形など個性あふれる特徴も。まさに東京の伝統野菜で、現在48品目が認定されています。 |
多摩川をのぞむ崖線上にあった、広間型の間取りを持つ茅葺の民家です。広間と土間境の長方形断面の大黒柱や、押し板という古い形式の棚などから、建物の歴史が感じられます。 |
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