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所在地=〒601-1112 . 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180 お問合せ=075-741-2016 休業日=年中無休 開門時間=12/1~4/31=6:00~18:00 . 5/1~11/30=6:00~20:00 年末年始=特別時間 参拝料:無料 |
叡山電車「貴船口」駅 ◆貴船口駅下車、京都バス⇒『貴船』下車 ◆貴船口駅下車 ⇒徒歩役30分 2km 京都バス 33番 「貴船」 ◆貴船下車、貴船神社まで徒歩5分 |
貴船神社の創建を明記するものは残っておらず、創建の年代は不詳です。 天武天皇白鳳六年(約1300年前)には、すでに御社殿造替が行われたとの社伝が存在することから、創建は極めて古いと考えられます。 |
先人にならい絵馬を奉納して御祈願ください。 古来、雨乞いの社として名高い貴船神社には畏くも歴代天皇様より旱天(ひでり)には黒馬・霖雨(ながあめ)には白馬又は赤馬を、その都度献げて御祈願さしていました。 しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと、平安時代の文献である『類聚付宣抄』は伝えています。 この「板立馬」こそは今日の絵馬の原型といわれています。 貴船神社ではこの故事に倣いかつて和泉式部が復縁を平實重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったように、皆様方の心の願いを一枚の絵馬に託して御祈願されますように。 |
1.自ら活動して多を働かしむるは水なり 2.常に自ら進路を求めて止まざるは水なり 3.自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり 4.障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり 5.洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰(あられ)と化し凝っては玲ろうたる鏡となる、而もその性を失わざるは水なり |
貴船神社の起源については、貴船大神が御鎮座することになった伝説が社記に残されています。「国家安穏 万民守護のため 太古 丑の年の丑の月の丑の日に、天上より貴船山中中腹 鏡岩に天降れり」とあり、現在丑の日が縁日とされている所以でもあります。また別の伝説には、約1600年前に初代神武天皇の皇母である玉依姫命が「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。また黎民(れいみん)の諸願には福運を蒙(こうむ)らしむ。よって吾が船の止まる処に祠(ほこら)を造るべし」と宣り給い、現在の大阪湾から船に乗り、淀川、鴨川、貴船川を遡り、水源の地として現在の奥宮に至りました。清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい)を見つけた玉依姫がここにひとつの祠を建てたのが、貴船神社の起源と伝えられています。 |
貴船は古くは「気生嶺きふね」「気生根きふね」とも書かれていました。 大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」之生ずる根源という意味です。 神道では、体内の気が衰えることを「気枯(けが)れ」といい、古来貴船神社に参拝する者皆、御神気に触れ、気力の充実することから運気発祥(開運)の信仰が篤いのです。 ☆彡へ続く |
☆彡より続く この桂は、樹齢400年樹高30m。根元からいくつもの枝が天に向かい伸び、上の方で八方に広がっています。 これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁です。 上流の結社さらに奥の奥宮の境内にもこれより大きな桂があります。 |
昭和の作庭家の第一人者・重森三玲氏が昭和40年に、古代の人々が神祭りを行った神聖な祭場「天津磐境」をイメージして作った石庭、貴船川から産出する貴船石は、緑色や紫色をした美麗な水成岩で、石庭、盆栽石の名石として、その数も少なく珍重されている。 この庭は、貴船名石保存のため、すべてを貴船石で石組されているのが特徴で、庭全体が船の形になっている。中央の椿の樹がマストで、神が御降臨になる樹・神籬(ひもろぎ)でもある。 神武天皇の母神様・玉依姫が、浪速の津から水源の地を求めて黄色の船に乗ってこの地に来られたとの神社創建の伝承に因んでいる。その黄船は今も奥宮に船形石として残っている。 |
梶取社と貴船神社の鳥居 下賀茂神社に向かいます。 ************************* お気づきのこと等がございましたら ご一報ください。→:こちら! ************************* |
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