n022-3  東 海 寺


東京都(Tokyo)
13/05/04 Sat. 


お気に召さないときは止めてください。

♪「ジムノペディー」サティー
ピアノ バージョンです♪

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東 海 寺
高層ビルの裾にあるお寺です。




東 海 寺
*

東京都品川区北品川3-11-9
山号:万松山
宗派:臨済宗大徳寺派
創建:寛永16年(1639)
開基:徳川家光
文化財:沢庵和尚画像(東京都指定文化財)
沢庵宗彭墓・賀茂真淵墓(国の史跡)
*
アクセス:京急本線「新馬場駅」より徒歩5分













品川区指定有形文化財
梵鐘:元禄5年(1693)
 元禄5年(1692)住持天倫宗忽[じゅうじてんりんそうこつ]が撰文し、名工と言われた幕府の御用鋳物師である椎名伊代守良寛によって造られました。
-立札より-








東海寺古学殿

臨済宗大徳寺派の東海寺は、萬松山と号します。
東海寺は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭[たくあんそうほう]を招聘[しょうへい]して開山しました。
寺領5,000石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭[えどふれがしら]でした。
明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭[たっちゅう]玄性院が旧跡を引き継いで現在に至っています。
-「猫のあしあと」より引用しました。-






詳しいことは調べることが出来ませんでしたが、以前、
板垣退助が自分のお墓を「東海寺」に作るように言われたことや、
ここから数百メートル離れた品川神社の場所が
東海寺の領域だったということを知りました
品川神社裏の板垣退助のお墓が、そこにあるわけや
東海寺にあるとされる沢庵宗彭や
賀茂真淵
のお墓が、離れた4丁目にあることなどを考え、
昔の「東海寺」の規模などを想像してみました。

今回は4丁目の沢庵和尚等のお墓には参っていません。
お墓は 北品川4-11-8 です。






東海寺領







古学殿







古学殿






あの先に墓地があるようですが、入れません。
4丁目の墓地とは別です。
















東海寺

沢庵和尚[たくあんおしょう](1573~1645):
3代将軍家光に請われて 品川に東海寺を開山。
日本を代表する禅宗の名僧です。


















■東海寺の七不思議(しながわ昔話)
東海寺は、寛永十五年(1638)に江戸幕府三代将軍徳川家光がたてたお寺で、沢庵和尚が最初の住職となりました。このお坊さんは将軍や多くの大名から尊敬されるほど立派な人だったことから、お寺もあつく保護されていました。そんな東海寺には、次のような七不思議が伝わっています。

一.片身のスズキ
東海寺には大きな池がありました。ある日、沢庵和尚がお寺に帰ると、台所ではお坊さんたちがまな板にのった大きなスズキに包丁を入れているところでした。和尚が片身のスズキに「喝!」と叫んで池に投げ込むと、スズキはたちまち元気に泳いで池の奥深くへと身をひそめ、いつしか池の主になり東海寺を守ったということです。

二.鳴かないカエル
お寺の大池にはカエルがたくさんいましたが、一度も鳴いたことがないそうです。これはあるとき、沢庵和尚があまりにもうるさいカエルに喝を入れたためと伝えられています。

三.片なりのイチョウ
東海寺のイチョウは、なぜか片方にばかり実がなったそうです。

四.潮見の石
東海寺に古くからある大きな石の水鉢は、潮が満ちるときには水がいっぱいになり、潮がひくときには少なくなってしまうそうです。これは、「潮見の水鉢」と呼ばれました。

五.血のでる松
山門のそばには一本の大きな松がありました。将軍がお参りするときにはじゃまになるので「じゃまの松」と呼ばれており、とうとう切られることになりました。のこぎりを引き出すと、切り口から赤い血がにじみだし、木こりの手はしびれてしまいました。そこで、お寺ではこの松を特別な木として大切に残すことにしましたが、切り口はずっと赤いままでした。

六.火消しのビャクシン
裏庭には、唐(中国)から持ち帰って植えられたというビャクシンの木がありました。ある真夜中のこと、沢庵和尚が「唐の金山寺が火事だ、起きろ!」と寺のお坊さんたちを呼び起こし、そのビャクシンの木に水をかけさせました。お坊さんたちは大変驚きましたが、しばらくして金山寺から「おかげで火が消えました」とお礼の品物が贈られたということです。

七.千畳づりの蚊帳
金山寺からのお礼は、桐の箱におさめられた蚊帳(蚊などを防ぐため、四隅をつって寝床をおおう道具)でした。「千畳づり」という大きさは見当もつきませんが、当時としては日本一だったことでしょう。

【今の東海寺】
江戸時代の東海寺は広大な敷地を持ち、敷地内にはたくさんの塔頭(小さなお堂)がありました。今の東海寺(北品川三丁目)は、明治時代になってから、その塔頭のひとつだった「玄性院」がお寺の名前を引き継いだものです。そのため、七不思議に出てくる大池やビャクシンなどは、現在何も残されていません。 







小規模なお堂.・・・・
お寺の場合、何と言うのかわかりませんが、
1坪くらいの建物です。







玄関の右の伝言板に何か書かれています。
近づいてみましょう。







伝言は「ご朱印」のないことを告げていました。







東海寺 本堂




東海寺 古学殿





東海寺の向かいの「子どもの森公園」です。




たくさんの幼児達とママ友たちが
憩っていました。
となりには 背の高いフェンスで囲まれた広場で
少年野球チームがゲームをしていました。







昔この辺に「荏原郡役所」があったことを印す立札がありました。
北品川3丁目10番19号 品川清掃事務所付近
 明治11年(1878)7月、行政区域であった大区小区制が廃止され、大区12郡となり、荏原郡が誕生し、当初90か宿町村で構成されていました。
 明治22年(1889)の市町村制によって19か町村となりました。郡制は大正10年(1921)に廃止されましたが、残務処理などにより荏原郡役所が廃止されたのは大正15年(1926)6月30日でした。
-立札より-
東海寺の近くに「清光院」という
お庭の整ったお寺があったので
寄ってみます。



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No.n022-3 東 海 寺
No.n022-3 Tohkaiji

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◆三代将軍 徳川家光 信任
◆沢庵和尚 沢庵漬[たくあんづけ]考案地
◆作庭、小堀遠州
◆廃寺を塔頭玄性院が引き継ぐ
◇神社、寺、教会 

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