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子育て銀杏に奉納された絵馬
七歳までは神の子
病死という概念がなかったその昔、『もののけ』という死霊が幼い生命を突然奪いに来ると考えられていました。医学がまだ発達していない頃の乳幼児の生存率は低く、「七歳までは神の子」という言葉が伝わっています。それほどまでに乳幼児は死と隣り合わせだったのです。
医療医学の発達したといわれる現代においても、子は「授かりもの」であり、生命は父母双方の先祖から脈々と流れ受け継ぐ「賜りもの」です。
初宮詣氏子に入りに際し『j子育ての銀杏』 に奉納された絵馬は7年間、御祭神の御加護を願いお供えしています。
お祝いのお子様が、7歳になる最後の1年は、御神前に最も近い殿内にお供えします。そして7年が過ぎた11月15日七五三詣の日に【おかげさま】の感謝の心を込めて浄火によりお焚き上げします。
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子育て銀杏に奉納された絵馬
最後の1年は殿内にお供えします。
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瑞光石
御祭神すさのお大神・あすか大神が光を放ち降臨した小塚の中の祈願を瑞光石といいます。
文政12年(1829)編纂の『江戸近郊道しるべ』には、千住大橋架橋に際して、この瑞光石の根が大川(現・隅田川)まで延びていた為に橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されています。
この瑞光石のある小さな塚から「小塚原(こつかはら)」の地名が起こり『江戸名所図会』には「飛鳥社小塚原天王宮(あすかのおやしろこつかはらてんのうぐう)」と紹介され、弁天様を祀る御手洗池・茶屋など当時の情景をもうかがうことができます。元治元年(1864)には富士塚を築き浅間神社を祀り、門前の茶店では疫病避けの麦藁の蛇が土産に売られるなど、富士詣りの参詣者で賑わいました。
なお、現在周辺小学校の「第*瑞光小学校」と冠された瑞光もこれに因むものです。 |
富士塚
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地蔵堂
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荒川区指定有形民俗文化財
庚申塔群三基(寛文13年銘他)
江戸時代に建てられた3基の庚申塔で、向かって左から、延宝6年(1678)銘、寛文13年(1673)銘、文化8年(1811)銘があります。
庚申塔とは、60日に一度めぐってくる庚申の日に、寝ずに夜を明かす行事「庚申待」を3年間継続した所願成就の証として建てられたものです。
中央の寛文13年銘の庚申塔は、聖観音が本尊です。聖観音の光背には「庚申講供養」と念仏講供養」の文字が刻まれ、庚申信仰と阿弥陀信仰の習合が見られます。左の延宝6年銘の庚申塔は、如意輪観音が本尊です。月待信仰に関する勢至菩薩の種子が刻まれていて、庚申信仰と月待信仰との習合がうかがえます。施主として久兵衛、おとらなど男女15人の名が見えます。文化8年銘の庚申塔には「青面金剛」の文字が刻まれています。
寛文13年銘と延宝6年銘の庚申塔は、造形上も優れており、他の信仰との習合も見られ、また3基の庚申塔から近世の庚申塔の変遷がうかがえ、学術的にも貴重なものであると言えます。 |
(平成18年1月13日指定)荒川区教育委員会
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すさのお神社 鳥居と拝殿 |

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すさのお神社 拝殿
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桃の絵馬には
お内裏様とお雛様の絵が描かれています。
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狛犬
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神楽殿
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境内末社 左より
福徳稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
稲荷の神は元々は農業の神。
米一粒が何倍にも殖えるように広く殖産の神として信仰されています。
菅原神社(天神様)
御祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)
道真公は平安時代初期の人で、学問の名家に生まれ、文章詩歌にすぐれた才能を示し、政治家としては右大臣にまでなりました。共用があり立身出世し、「学問の神様」広く「文化の神さま」共仰がれています。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて春なわすれそ
稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
「うか」は食物、「稲荷」は稲生りを意味し、御神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字があてられたといわれています。
稲(米)は命の根(イネ)。食物の中心であり、食物は生命の元であるので、その「みたま(魂)」を宇迦之御魂神と称え崇めています。 |
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水の神様 龍の口から川に水が湛えられています。
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橋の左にはこのように書かれています
これを矢立の初めとして 行く道なほ進まず
人々は途中に立ち並びて 後影の
見ゆるまではと 見送るなるべし
荒川を模した池と千住大橋
橋を渡った突き当りに芭蕉の碑があります。
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