n107 樋口一葉記念館ほか
東京都(Tokyo)
2015/02/15 Sun.


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♪「メイプルリーフ・ラグ」S.Joplin
ピアノ  バージョンです♪

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区立一葉記念館ほか

『樋口一葉の交遊録』という特別展を開催していました。





区立一葉記念館入口

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No.n107 一葉記念館ほか
No.n107 ICHIYO memorial hall, etc.,

Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo21pieces/GreenSeason
♪=メイプルリーフ・ラグ
◆一葉記念館
◆旧居跡
◆終焉の地
◆一葉記念館収蔵品
◆交友録
◇記念館
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 ここは明治文壇の天才樋口一葉旧居の跡なり。一葉この地に住みて「たけくらべ」を書く。明治時代の龍泉寺街の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まん。
 菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは、昭和11年7月のことなりき。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起こし、我国土を空襲の惨に晒す。昭和20年3月この邊一帯焼野原となり、碑も共に溶く。
 有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。愛せらるる事かくの如き、作家としての面目これに過ぎたるはなからむ。唯悲しいかな、菊池寛今は亡く、文章を次ぐに由なし。僕変わって蕪辞を列ね、その後の事を記す。嗚呼。
  菊池寛 撰 昭和24年3月小島政二郎補並書 森田春鶴 刻







一葉女史たけくらべ記念碑
近代文学不朽の名作『たけくらべ』は
樋口一葉在住当時の龍泉寺町を中心に
吉原界わいが舞台となった。これを記念して
昭和26年11月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。
碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士
作並びに書による次の歌二首が刻まれている。
-   台東区教育委員会   -
  紫の古りし光にたぐへつべし
  君ここに住みてそめし 筆のあや
一葉女史たけくらべ記念碑
  そのかみの美登利信如らも この園に
  来あそぶらむか 月しろき夜を
                  佐佐木信綱





〒110-0012 
東京都台東区竜泉3-18-4
TEL:03-3873-0004
入場:一般=300円/小・中学生=100円
20人以上団体割引あり。
開館時間:9:00〜16:30(入場は16:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)年末年始他

アクセス:東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅より徒歩8分
都バス(都08)龍泉下車・徒歩3分、
北めぐりん(15)一葉記念館入口下車徒歩2分

一葉記念館 公式サイト







館内は撮影できませんので
ポスターからトリミングしました。
不都合がございましたら、ご連絡ください。


一葉直筆『たけくらべ』草稿







一葉の文机(複製)

一葉記念館は昭和36年にわが国初の女性作家の
単独資料館として開設されました。その後40年余りを経て老朽化が進み、また樋口一葉が「新五千円札の肖像」に採用されてことを機に、平成18年11月1日にリニューアルオープンしました。
こちらには、一葉自筆の「たけくらべ」走行、小説の師・半井桃水との書簡、下谷龍泉寺町に小店を開いた時の仕入帳など、貴重な資料を展示しています。








一葉の遺品
(根がけ、紅入れ、かんざし、くし、こうがい)








辻村寿三郎作『一葉』



小学校を首席で卒業。父親の理解があり、歌塾「萩の舎(はぎのや)」に通うなど、小さい頃は幸せでしたが、十代後半から父親、長兄が亡くなり、母と妹を養うために作家になろうと決心しましたが、苦労をしたそうです。







仕立て直した一葉の着物








記念館内の撮影できる場所









売店
















今回の催し物は、
樋口一葉の交遊録

平成27年1月6日〜3月8日







樋口一葉(樋口夏子)








歌塾「萩の舎」の主催者

中嶋歌子







歌塾「萩の舎」塾生
一葉の小説に大きな影響を与えた。

三宅花圃(田辺龍子)







歌塾「萩の舎」塾生
一葉の生涯の親友

伊藤夏子




歌塾「萩の舎」塾生
一葉と一緒に代稽古も行った

田中みの子





記念館から外部に移動します。





樋口一葉旧居跡
この記念館に一番近い場所で、竜泉寺町。
住んだ期間は10ヵ月ほどで、後に発表する作品の構想を練りながら、
駄菓子、アラモノ、雑貨等の商いをしていたそうです。
樋口一葉は明治26年7月20日、本郷菊坂町より下谷龍泉寺368番地に移り住み、この界隈を背景にして不朽の名作「たけくらべ」や「わかれみち」の題材を得た。この碑の位置は一葉宅の左隣酒屋の跡にて、一葉と動番地の西端に近く碑より東方6mが旧居にあたる。
 なお一葉はこのあたりを
「鶉(うずら)なく声もきこえて花すすき まねく野末の夕べさびしも」と和歌に詠んでいる。
昭和51年11月23日(一葉没後80年) 大東区教育委員会

 樋口一葉は、明治26年7月〜翌5月までの9か月半、母・妹と3人で下谷龍泉寺町(減台東区竜泉)に住んでいました。一葉はこの地で荒物・駄菓子屋を営み、生活苦と闘いながら、名作「たけくらべ」の題材を得ました。このことに感銘を受けた地元の方々の『一葉の文学を顕彰し、長く世に遺したい』という熱意と多大な努力により、一葉記念館は開館しました。それから今日に至るまで一葉記念館は、地元・台東区の方々に支えられ、多くの人々に愛されています









その後に住んだ本郷菊坂の住居跡付近。
生涯で15回も転居したとか。


写真右下に、ポンプ式の井戸跡が確認できました。
現在は、別の方の生活の邪魔にならないようにと
いうような内容の紙をこの辺で見つけました。
忘れがちですが、当然のことですね。







樋口一葉終焉の地
文京区
こちらが、24歳の短い生涯の終焉の地。文京区春日で碑を発見。
作品が世に出て、多くの方に認められはじめた矢先、
結核により、あまりにも短か過ぎるその生涯を閉じました。

一葉樋口夏子の碑
この文学碑は、昭和27年9月7日に建てられた。
日記以外の表面の文学と裏面の文字は、
平塚らいてうの書。裏面には、岡田八千代の
撰文による一葉の業績の概要と、興陽社社長
笹田誠一氏の篤志によってこの碑が建てられた
ことが記されている。昭和27年8月上旬、世話人
岡田八千代、平塚らいてう、幸田文、野田宇太郎
(日記文選定)、井形卓三(文京区長)とある。
文京区教育委員会




一葉のパンフレット
ご自由にお取りください。





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パネル、冊子を参考にしました。


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