n139 国立歴史民俗博物館

千葉県(Chiba-Ken)
2015/09/19 Sat.  


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♪「管弦楽組曲」バッハ
電子楽器 バージョンです♪

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国立歴史民俗博物館

第2展示室





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No.n139 国立歴史民俗博物館
No.n139 National Museum of Japanese History

Chiba-Ken /Beautiful Japan
Photo30pieces/GreenSeason
♪=管弦楽組曲
◆王朝文化、平安時代
◆中世の「市」の様子、桂女
◆17世紀御朱印船
◆江戸橋、日本橋
◆近代の学校、オルガン、教会
◇博物館、ジオラマ
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等身大


王朝文化(10〜12世紀)
 平安時代には、それまでの唐風文化に代わって日本的特色をもったいわゆる国風文化(王朝文化)が花開きました。この文化は貴族的・女性的で都市的な要素を強くもっています。平仮名や片仮名の仮名文字が創出され、漢文によらずに、自由に日本語の文章を記すことができるようになったのもこの時期です。

王朝貴族の服装
男子では束帯(そくたい)が儀式の際の正装で、ほかに通常服の直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)がありました。女子では女房装束(にょうぼうしょうぞく)が女官の正装でした。

アクセス=京成佐倉駅より徒歩15分
撮影可能






藤原道長の邸宅「東三条殿」の復元模型


国立歴史民俗博物館
歴博は開館当初から国立大学共同利用機関として位置付けられました。歴史資料の展示公開を行うことが歴博の重要な業務であることは言うまでもありませんが、歴博は展示施設であるとともに考古学、歴史学、民俗学の研究機関であり、他の研究機関や大学と共同で研究を推進し、調査研究の基盤のもとに展示を行うことが重視されました。

会場が広く、展示資料がたくさんあり、撮影もOK。
たくさん撮影出来ましたが、
1ページにまとめるのは無理なので
当サイトではジオラマを中心に抜粋してご紹介します。






平安時代の町の様子
よくできているジオラマを切り撮りましたので、
スペースの許す限り、ご覧ください。














































































中世のにぎやかな「市」の様子 




「市」の一場面を、いくつかに分けて切り撮りました。







京都のような都市には毎日お店がありましたが、地方では、決まった日にだけ市場が開かれました。
その日はたくさんの人が集まり大変にぎやかです。下駄、つぼ、布、魚お米などを売っています。







市が開かれている片隅では、このような場面も。
今にも動き出して刀を抜きそうな人
野次馬も心配そうな様子がうかがえます。







上の場面、別の角度から。







桂女(かつらめ)
桂女は、中世に大堰(おおい)川でとれた鮎を販売した女性で、「三十二番職人歌合」に描かれているとおり、辻ケ花(つじがはな)の美しい小袖を着し、夜は戦陣や貴族らの宴席にも侍った。近代までその姿は京都府に残っていた。



御朱印船模型(17世紀)
東アジアには、中国を中心とする国際秩序がありましたが、ヨーロッパ勢力の東アジアへの進出はこの体制を崩し、また多くの文物をもたらしました。特に鉄炮とキリスト教の影響は大きく、戦国時代にあった日本では、戦いの方法が変化し、軍団編成や兵農分離が促進され、やがて統一政権が強力な中央集権国家を作りあげました。










 日本橋
全長28間〔約51m〕、幅4間2尺〔約8m〕。慶長8年(1603)に架けられ、翌年、初回道の江戸の起点と定められました。周辺は大店(おおだな)の並ぶ繁華街となりました。







江戸橋
初出は承応年間(1652〜1655)の江戸図。日本橋と同形式の木造橋ですが、欄干の柱に擬宝珠はなかったとされます。橋のたもとには床見世・髪結床が並びました。







江戸橋周辺
近世には、「都市の時代」と呼べるほどに今日につながる都市が各地につくられました。将軍や大名などが政治・経済を集中させるために計画的につくった城下町と、商品流通の発展によって成長した在片町(ざいかたまち)は、ともに共通する社会の仕組みや文化をもちました。ここでは世界でも有数の人口と面積をほこり、最大の城下町であった江戸をとりあげ、都市社会の仕組みと、都市で花開いた文化を明らかにしています。







江戸の興味深いジオラマ















第5展示室 -近代-
19世紀後半の近代の出発から、1920年代まで(の中の一部)をご覧ください。




舂米(つきよね)学校 縮尺 1/10
 明治9年(1876)山梨県巨摩(こま)郡舂米〔現富士川町〕に新築された藤村式洋風校舎。バルコニーや二段手すりを持つ擬洋風の3階建て。1階には職員室、教室、2階には講堂が配置されました。
 六角形をしたモダンな3階部分は、時を知らせる大太鼓が備え付けられていたことから太鼓堂と呼ばれました。







山葉オルガン
 山葉楽器製造所製作のオルガン。明治23年(1890)東京上野で開催された第3回内国勧業博覧会において受賞した有功二等賞牌のコピーが添付されています。山葉虎楠が受賞を記念に恩人福島 豊策に贈ったものが、姻城の池田真義家(寄贈者)に伝えられたものです。

 これは昔教室でよく使われていたオルガンです。
ペダルを踏んで空気を送り音を出します。手前のボタンを押すと、このオルガンで弾いた曲が聴けます。



旧石巻ハリスト正教会教会堂  縮尺1/10

  ギリシャ正教の教会堂としては現存する日本最古の洋風木造教会堂。宮城県石巻の信徒達の献金で、明治13年(1880)に建てられた。2階建、総瓦葺きで、正面に八角形の突出部が付き、軒先の瓦や、2階外壁には十字架がほどこされている。内陸への玄関口の港町に建つこの教会は、東北の文明開化のシンボルです。

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説明パネル参考


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