
正門
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No.c273 練馬区立 牧野記念庭園
No.c273 Makino Memorial garden, Nerima city.
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 31 pieces/GreenSeason
♪=アイネクライネナハトムジーク/ モーツァルト
◆練馬区立、東京都指定文化財
◆牧野記念庭園、繇條書屋(ようじょうしょおく)
◆牧野富太郎
◆スエコザサ
◆牧野日本植物図鑑
◆牧野式胴乱
◇庭園、記念館
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スエコザサと二つの句

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歌碑
   
家守りし妻の恵みや我が学び
世の中のあらむかぎりやすゑ子笹
結綱子
寿衛夫人は、借金ばかりの生活苦に耐えながら、好きなことひとつせず、常に牧野博士の研究を第一に考え尽くしてきました。博士の偉業は夫人の内助の功の賜物といわれています。
博士は、昭和2年に仙台で発見したササの新種に「スエコザサ」の和名と Sasa suwekoana Makino の学名を付け、夫人の名を永久に世界に残しました。翌年、他界した夫人のために上の2句を詠んでいます。
谷中の墓地には、スエコザサと共にこの二句を刻んだ墓碑が建っています。 |
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練馬区立 牧野記念庭園 インフォメーション
   
所在地=〒178-0063 東京都練馬区大泉 6-34-4
電話=03-6904-6403 ※障害者用駐車場1台:要・事前予約
開園時間=9:00~17:00
休園日=毎週火曜日(祝休日の場合は翌日)12/29~1/3
入園料=無料
駐車場=なし |
交通アクセス
西武池袋線『大泉学園』駅(南口)より徒歩5分
JR中央線/西武新宿線からバス『学芸大附属前』下車、徒歩3分 |
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講習室
   
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スイセン
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練馬区立 牧野記念庭園
   
1958年(昭和33)に植物学者:牧野富太郎の練馬区大泉の自宅跡に、富太郎の業績を記念する庭園及び記念館として開園しました。2009年に「牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡)」として、国の登録記念物(遺跡跡及び名勝地)に登録されています。
園内には300種近い植物があり、牧野博士が命名した仙台八重桜や仙台で発見し亡き妻の名を付けたスエコザサ等が植えられています。 |
Wikipedia より
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奥=講習室/手前=見本園

見本園
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牧野富太郎 1862-1957
   
「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威です。その研究は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っています。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定されました。
94歳で亡くなる直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製しました。個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、命名植物は、1,500種類を数えます。野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、身近にある植物すべてが研究対象となっていたことが、日本植物学の父といわれる所以です。
植物研究のため、造り酒屋であった実家の財産を使い、東京に出る際に親戚に譲りました。後に困窮し、やむなく妻が始めた料亭の収益も研究につぎ込んだといいます。その料亭の件や、当時の大学の権威を無視した出版などがもとで大学を追われたこともあります。しかし、学内には富太郎の植物に対する情熱とその業績を高く評価するものも多く、78歳までに実に47年の間、東大植物学教室になくてはならない講師として日本の植物学に貢献しました。
2023年度前記の連続テレビ小説『らんまん』の主人公・牧野万太郎のモデルとなることが決まりました。 |
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書屋展示室と顕彰碑
   
花在ればこそ
吾れも在り
牧野富太郎
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記念館 常設展示室 |

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壁面の押し花
   
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記念館 展示風景
   
富太郎
誕生 おいたち
| 富太郎は文久2年(1862)4月24日、土佐国高岡郡佐川村の酒造業を営む裕福な商家「岸屋」に生まれ幼名を「成太郎せいたろう」と名付けられました。何不自由なく育ちますが、3歳で父佐平、5歳で母久寿が病死し、6歳の時には祖父小左衛門まで亡くします。体の弱かった富太郎は、祖母浪子に大切に育てられました。 |
少年期
土佐の山野で植物採集
17歳で現在の高知市へ行き高地中学校の教員長沼己一郎に出会い、新しい科学としての植物学を学び意欲に燃えた富太郎は、第2回内国勧業博覧会見物と顕微鏡や書籍を買うために明治14年(1881)19歳で初めて上京します。
東京では博物局の田中芳男、小野職愨(おのもとよし)を訪ね、最新の植物学の話を聞いたり植物園を見学します。 |
青年期
志を抱いて上京
富太郎は本格的な植物が鵜を志し、明治17年(1884)に再び上京します。東京大学理学部植物学教室に出入りを許され、大学では書籍や標本を使って植物研究に没頭しました。
当時の日本の研究者は、海外に植物を送り同定してもらいました。富太郎も東アジア植物研究の第一人者であった、ロシアのマキシモヴィッチに標本と図を送り、図を絶賛する返事が届くなど、天性の描画力にも恵まれていました。 |
壮年期
植物学者への道
| 『日本植物志図篇』の刊行や次々と進取の発表をするなど目覚ましい活躍を見せる一方、研究費を湯水の如く使ったこともあり、富太郎の実家の経営は傾き、明治24年(1891)富太郎は家財整理のため佐川へ帰郷します。そこで免職した矢田部教示に変わり教授となった松村任三から、帝国大学理科大学助手として招かれることとなりました。 |
晩年
大学を辞す
昭和2年(1927)周囲の声もあり、富太郎は理学博士の学位を受ける一方、自らが平凡になったと残念に思う気持ちもあり、最後まで講師のまま47年間勤めた大学に辞表を提出し、昭和14年(1939)退官します。
大学を辞めてからはこれまで以上に植物へ情熱を注ぎ、日本全国を飛び回ります。昭和32年(1957)1月18日94歳の生涯を終えました。 |
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展示品 ムジナモ
   
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富太郎の詠んだ歌
   
房州の南端に立ちて沖を眺め見て
白浜ゆ海之彼方ハいづくかも
果てし知られぬ波のうねうね
結綱学人 牧野富太郎 91歳
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朝日文化賞盾
   
| 昭和12年(1937)に朝日新聞社から朝日文化賞が贈られます。この時の朝日新聞には「日本にある6,000種類余の植物のうち約1,000種を牧野博士が発見した。世界の植物分類学者で博士の名を知らない人はいない。博士は日本の宝」と書かれています。 |
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描画道具
   
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ポスターより
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富太郎命名植物
ヤマトグサ
   
明治22年(1889)、日本で初めての命名植物となった「ヤマトグサ」をはじめ、新種、新品種を含め富太郎による命名植物は1,500種類を数えます。野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、私たちの身近にある植物すべてが富太郎の研究対象となっていました。
富太郎が「日本の植物分類学の父」と言えるのは、その数だけでなく対象の幅広いことにもよります。 |
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 ポスターより
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富太郎命名植物
コヤスノキ
   
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 ポスターより
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富太郎命名植物
ビロードムラサキ
   
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 ポスターより
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富太郎命名植物
トサウラク
   
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顕微鏡
   
初めて上京する折に万国勧業博覧会にて買い求めた顕微鏡。
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牧野式胴乱
   
| 、富太郎の長年の経験をもとに、植物を入れて持ち帰るための胴乱を特別に作らせます。上野科学社が作成したこの胴乱は牧野式胴乱といわれ、ほかにも富太郎考案による根堀も作られています。 |
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今日のお供は、スザナです。
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採集道具
   
富太郎は採集の時に、胴乱、根堀、はさみ、管瓶、野冊などを持ち歩いていました。。こうした採集道具にも富太郎はこだわりをみせました。
左:ベニガク
昭和16年(1941)7月24日 練馬区大泉 牧野邸。花期は6~7月
ヤマアジサイの園芸品種。富太郎はラベルにコベニガクと同定されました。 |
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牧野日本植物図鑑
   
| 昭和15年(1940)、3,206種の植物を図解した『牧野日本植物図鑑』が出版されます。没後の昭和36年81961)には、3,896種に増やした『牧野新日本植物図鑑』が出版されました。その後も増補改定を重ね、現在でも多くの人に利用される植物図鑑となっています。 |
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著書
   
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庭園
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記念館 常設展示室です。
   
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書屋展示室
   
| 牧野記念庭園には、博士の書斎と書庫の一部が保存されています。晩年、庭で植物の観察を行いこの書斎で著書の執筆や植物の描画などに勤しみました。また、書庫には45,000冊にもおよぶ蔵書が所狭しと積み上げられていましたが、亡くなった後、高知県立牧野植物園に寄贈され、現在は整然とした状況になっています。 |
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書斎再現プロジェクトへの寄付を募集しています
| 練馬みどりの葉っぴい基金の短期プロジェクトのメニューに「牧野記念庭園再現プロジェクト」を立ち上げ、書斎を再現するための寄付を募集しています。(.2023年2月末まで) |
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↓以下3枚 2023年8月再訪時『繇條書屋(ようじょうしょおく)』が
完成していました。
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書屋展示室
   
今も残されている富太郎の書斎を昭和27~28年頃の様子を伝える場所によみがえらせました。
富太郎の蔵書の表紙を、高精細カメラで撮影し本にしたものや手書きしたもの、富太郎を慕う人たちの本や複製した文房具などが、ぎゅっと詰まった空間です。 |
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学者はケチではいけない
   
安月給でも植物研究のための借金はいとわなかった富太郎。
妻の寿衛(すえ)は借金取りの扱いもうまく富太郎の研究をしっかり支える相棒でした。
そんな二人を家族は後にこう語っています。
『この夫婦の考え方は、普通とは違う』『二人は徹底した“のんき者”』 |
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書籍の博覧を要す
   
青年の時に立てたこの志の通り、富太郎は古今東西の書籍を買い漁り、膨大な知識をその身に取り込んで植物研究の道を独学で切り開いていきます。
そんな富太郎のそばには、どんな時にもたくさんの本がありました。 |
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本を家とせず、友とすべし
   
「本を読んで安心するだけじゃなく、間違っていたら正せる友達のように、本と付き合うべし」と志した牧野博士は、同じ本でも版が違えば違えば買うというマニアックぶり。
植物を研究するためだからと堂々と借金をする、そんな博士を支えたのは牧野家の人たちでした。 |
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ロウバイが枯葉と一緒に見られました。
   
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くちなしの実
   
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殺風景な1月の庭園の様子
   
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2種類の木の実
   
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牧野富太郎博士胸像
   
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