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所在地=〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31 電話= 0467-22-2818 開門時間= 9:00~16:30 拝観料=一般:100円 無料駐車場=あり 有料駐車場=500円/日 ガーデンテラスを利用すると無料 |
電車 バス |
JR横須賀線『鎌倉』駅東口下車 徒歩29分 京急バス 4番線口乗車/『浄明寺』下車 徒歩2分 |
車 | 横浜横須賀道路 『朝比奈』IC 約10分 |
当寺は稲荷山と号し、鎌倉五山第五位の寺格をもつ臨済宗建長寺派の古刹である。源頼朝の忠臣で豪勇の士であった足利義兼(1199没)が文治4年(1188)に創建し、初め極楽寺と称した。 開山は退耕行勇律師で、当初は密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峰了然が住職となってから禅刹に改め、ついで寺名も浄妙寺と称した。寺名を改称したのは正嘉年間(1257~59)とみられる。歴代の住持には約翁徳倹・高峰顕日・竺仙梵僊・天岸慧広など名僧が多い。 中興開基は足利尊氏の父貞氏で、没後当寺に葬られた。至徳3年(1386)足利義満が五山の制を定めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭23院を数えたが、火災などのため漸次衰退し、現在は総門・本堂・客殿・庫裡等で伽藍を形成している。 境内は国指定史跡。 |
相模国酒匂(小田原市)の人で初名は玄信、荘厳房と称した。幼くして薙髪出家し、真言密教を学んだ。 養和元年(1181)には鶴岡八幡宮寺の供僧となり、ついで永福寺・大慈寺の別当にも任じられ、文治4年(1188)足利義兼が当山を建立すると開山に迎えられた。正治元年(1199)栄西が鎌倉に下向すると、その門に入って臨済禅を修め、栄西没後は寿福寺二世に任じられている。 頼朝や北条政子に信任されて戒を授ける一方、「所住の寺、海衆満堂」といわれるほど信望され、実朝もあつく帰依した。 仁治2年7月、東勝寺で没した。 |
寄棟造、銅板葺(もと茅葺)。平面は方丈形式の六間取りとする。江戸時代中期の建物ですが、仏壇周辺などには室町時代の材が用いられています。 |
寺院の住職がお勤めをする室中(しっちゅう) 一般の方の応接間である礼の間(らいのま) 檀家用の応接間である檀那の間(だんなのま) 師匠から弟子に法を継ぐ衣鉢の間(えまつのま) 仏像や祖師像、位牌を祀る仏間(ぶつま) 住職の日常の生活の場である書院(しょいん) 以上六室からなるのが基本的な方丈建築です。 |
天正年間(1573~1591)に建立された茶室。 僧が一堂に茶を喫した。 平成3年復興、開席、庭園は杉苔を主とした枯山水である。 喜泉庵では有料で抹茶が供される。 |
室町時代には浄妙寺の東側に足利公方屋敷が構えられ、足利尊氏やその子孫が居住していたそうです。 境内に隣接して大休寺跡と延福寺あとがある。大休寺は足利直義(尊氏の弟)の菩提所、延福寺は足利高義(尊氏の異母兄弟)が母の追善のために建てた寺です。寺の西側の熊野神社付近が大休寺跡、裏山のカフェレストラン付近が延福寺跡です。 原節子の主演映画「山の音」(原作:川端康成)には近くの「稲荷小路」や「報国寺」なども出てきます。 |
本堂裏の墓地に足利貞氏の墓(鎌倉市文化財)がある。『新編相模国風土記稿』に「元弘元年9月5日讃岐守貞氏卒しければ荼毘して当寺に塔を建つ」とあり、古くから、当寺中興開基貞氏の墓塔と伝えられてきた。貞氏(1331没)は家時の子で尊氏・直義の父。塔には明徳3年(1392)の銘がある。 境内には尊氏の兄高義が建立した延福寺や直義創建の大休寺などもあったが、いまは廃された。 境内奥のやぐらには尊氏弟・直義の墓と伝えられる宝筐塔がある。 |
営業時間=10:~17:00 定休日=毎週月曜日(※祝日の場合は火曜日) |
2000年に開業。明治期初頭の神仏分離令をきっかけとして、鎌倉の寺でも廃寺になったものがありました。その跡地は富裕層向けの別荘などとして分譲されましたが、ここに建つ洋館は、大正11年(1922)に貴族院議員であった犬塚勝太郎氏の自宅としてドイツ人建築家によって建てられたものであり、現在 浄妙寺の所有となっています。 |
目の前に広がる本格的な英国式庭園を眺めながら、鎌倉野菜などの地元食材をふんだんに使ったメニューや石窯で焼いた自家製パンなどを味わえるそうです。 |
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