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No.c378 鎌倉 明月院
No.c378 Meigetsu-in-Temple
Kanagawa-Ken /Beautiful Japan
Photo 40 pieces/GreenSeason
◆枯山水庭園
◆時頼公墓所
◆開山堂
◆瓶の井
◆本堂
◆本堂後庭園
◇紅葉、寺院
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インフォメーション
   
所在地=〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内189
TEL= 0467-24-3437
宗派=臨済宗建長寺派
山号寺号=福厳山明月院
建立=明月庵:永暦元年(1160)
. 禅興寺:文永5年(1268)頃
中興開山= 密室守厳 ◆中興開基 上杉憲方
史跡名= 国指定史跡明月院境内(昭和59年2月9日指定)
拝観時間= 9:00~16:00
拝観料=一般:500円 、明月院本堂後庭園=一般:500円
駐車場=無し |
交通アクセス
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茶室 月笑軒
   
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月といえばウサギ
   
お供はスザナです。
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最明寺入道
北条時頼公廟所
    (出家の法名)覚了房道崇
北条時頼公墓所
   
宝篋印塔・五輪塔等の部材を組み合わせた石塔が石積みの壇上に安置されている。
このあたりから現在のJR横須賀線が通る付近一帯は、時頼公が寂した故地である(諸説あり)。
時頼公の父は時氏(ときうじ)、母は松下禅尼(ぜんに)。次男として安貞元年(1227)生誕。松下禅尼は安達景盛の娘で、賢母といわれ「徒然草」184段に登場する。祖父第三代執権泰時の善政のあと、兄、経時からその職の委譲を受け、寛元4年(1246)、19歳で鎌倉幕府第五代執権職に就く。ますます北条政権を確固たるものに築き、一族の全盛期を迎える。さらに、臨済禅に深く帰依し、建長5年(1253)に中国の大覚禅師(蘭渓道隆)を開山に迎え、わが国最初の禅の専門道場である建長寺を創建した。
その後時頼公は康元元年(1256)、この地最明寺に大覚禅師を戒師とし30歳の時出家する。
僧名は覚了房道崇と号す。執権職を幼少の嫡子である時宗ではなく長時にゆずる。
弘長3年(1263)11月22日、37歳の生涯を終える。毎年命日に市内の建長寺派の住持、徒弟が参集し法要を営む。 |
-明月院-
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茶室 月笑軒
   
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茶室 月笑軒
   
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石の上で成長していくモミジ
   
石の上で成長していくモミジの パワーを感じてください。
どっしりと腰を据えた山の石。
たまたま落ちた根が発芽し、土も水もない石に根を張り、
枝を伸ばしたモミジ。
何年の歳月が流れたのでしょうか。 |
-明月院-
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岩壁に掘られた「やぐら」
   
| 寺伝では、俊通公の子経俊が遠い地で戦死した父をしのぶよすがとした墓所。 |
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宗猷堂(そうゆうどう)開山堂
   
このお堂は禅興寺隆盛時代(1380年頃)、明月院境内に建立されていた宗猷堂を後に開山堂とした。
堂内の中央には中興開山密室守護禅師の木像、向かって左に最明寺、禅興寺、当院の歴代住持の位牌が祀られている。
密室守護禅師は建長寺開山蘭渓道隆禅師(大覚禅師)の五大法孫で、1390年6月9日示寂。 |
-明月院-
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真新しい 山内首藤俊通公墓所
   
平安時代末期の『保元の乱』(1156)に続いた『平治の乱』(1159)において 源 義朝 (頼朝の父)と 平 清盛 との対決の際、俊通公は嫡子俊綱(あるいは家通か)とともに源氏の加勢の為、この地より参陣する。
武運尽きながらも源氏存続の為、その棟梁の退却を助けることを武門の忠義とし力戦も及ばす父子共についに力尽き、京都四条河原(六条河原の説あり)に散る。
一方、鎌倉に残った三男経俊が宗家の家督を継ぎ翌年、父の菩提供養の為、『明月庵』(現在の明月院の前身)を創建する。
経俊の母は頼朝の乳母の一人『摩摩局(ままのつぼね)-俊通の死後、出家して山内 尼となる。』頼朝と経俊はいわゆる乳兄弟ながらも頼朝が伊豆での挙兵の際、賛同せず袂(たもと)を分かち一時は敵対する。
後年、頼朝に服し、各地を転戦し、守護職の補任、罷免の盛衰、紆余曲折を経て、備後 (現在の広島県庄原市)が安住の地となり波乱万丈ながら、嘉禄元年(1225)7月に89才の天寿を全うする。
その地に手厚く埋葬され今日に至る。
法名 頓宗永悟居士 世寿89才
今日の「山内氏」「首藤氏」の礎となった人物といえる。
江戸時代後期(平治の乱より約560年後)、長州藩家老山内縫殿廣通が俊通公の埋葬地を探し当て、三条通栗田口東分木町に墓石を建立する。
更にその約百年後、明治時代に入り琵琶湖疎水工事など大規模都市開発で移転を余儀なくされ当時の旅館『吉水園』の敷地に改葬される。現在の『ウエスティン都ホテル京都』にあたる。
このことが数年前に明確になり、令和5年10月23日吉祥日に無事当地に移転改葬が実現し、俊通公の御霊は860余年ぶりの帰還が叶った。
法名 明月院殿天樹合公大禅定門
命日 平治元年12月28日 享年不詳 |
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瓶(かめ)の井
またの名を「つるべの井」とも呼ばれている
   
鎌倉十井(じゅっせい)の1つ。
岩盤を垂直に掘り貫いて造ったとみられ、その内部が水瓶のようにふくらみがあることから『瓶の井』と呼ばれる。鎌倉十井の中でも現在使用できる井戸としては数少なく、貴重な存在である。
【鎌倉十井とは】
江戸時代、水質があまり良くなかった鎌倉の地において、数多くある井戸の中でも特に良質の水が湧いたと伝えられる十の井戸。 |
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花想い地蔵
   
人はだれしも はかない花の想い出の中に生きています。
大切な人との別れ、いとおしい物との別れ、
そんな時 ふと目に止まった花が
どんなにか 心を慰めてくれたことでしょうか。
いつくしみ深き花地蔵 |
-明月院-
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枯山水庭園
 
須弥山をかたどり仏教の世界観を表現しています。
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山門
   
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国指定史跡 明月院
本堂
   
平安後期、この地の武将山内俊通の供養の為に、嫡子経俊が創建した明月庵が始まりです。約百年後に、北条時頼建立の最明寺を、その子時宗が開山に蘭渓道隆を迎え禅興寺として再興。更に約百年後、室町時代には関東管領上杉憲方(のりかた)が庵を院に改め、禅興寺の塔頭に併せ支院の首位に置き、寺容を整えました。
方丈には本尊聖観世音菩薩、開山堂に歴代祖師、左のやぐらは上杉憲方の墓、総門近くの禅興寺旧蹟に時頼の墓等が祀られています。又、鎌倉十井(じっせい)の一つ「瓶の井(つるべのい)」があり、今も使用されています。
丸窓の先に広がる往時を偲ばせる庭、巡る季節に六月の姫あじさい、秋の紅葉、春は枝垂れ桜。その時々に「花の寺」の表情を見せてくれます。 |
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香炉
   
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丸窓
   
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明月院 本堂後庭園(ほんどううしろていえん)
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花菖蒲と紅葉の見ごろのみ特別公開されている
本堂後庭園 を拝観します。
   
6月1日~6月中旬、12月1日~12月中旬
拝観料= 500円 |
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後庭園から見たシンボルの丸窓
   
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窯
   
昭和の初期に使用していた炭焼きの窯です。
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花菖蒲園
   
花菖蒲の季節には、美しい彩で咲き誇ります。
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わたしは 赤地蔵
あなたの 体の中を流れる命の色は赤色
そして 地中深く流れる 灼熱のまっ赤なマグマ
この 不思議な赤色のお話 命の色を
赤地蔵さま教えて下さい
ふしぎふしぎ 人の体は小宇宙
赤色の思い
-明月院- |
ちなみに青いケープのお地蔵さんには
下のようなパネルがありました。
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ボクは 青地蔵
青は不思議な色 見上げる空も青色
そして 悠久の海も青色 だけど 青地蔵は言う
透明な青色は どこにも存在しないと
あなたは どう思いますか?
青色の念(おも)い
-明月院- |
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窯
   
昭和の初期に使用していた炭焼きの窯です。
-明月院-
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