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No.c458 国指定史跡 荻外荘
No.c458 National Historic Site: Tekigaisō
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo 36 pieces/GreenSeason
◆近衛文麿旧宅
◆建築家・伊東忠太の設計
◆西園寺公望(さいおんじ きんもち)が命名
◆医学者・入澤達吉の別邸「楓荻荘」
◆吉田 茂 元首相
◆杉並区、杉並区教育委員会
◇国指定史跡、荻外荘
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インフォメーション
   
所在地=167-0051 東京都杉並区荻窪 2-43-36 荻外荘公園内
TEL=03-6383-5711 / FAX=03-6383-5713
運営=荻窪三庭園指定管理者 株式会社虎玄
開園時間= 9:00~17:00(最終入園=16:30)
| 料金 |
一般 |
小・中学生 |
| 観覧券 |
300円 |
150円 |
| 年間観覧券 |
1.200円 |
600円 |
| 団体(20名以上) |
250円 |
100円 |
※ 障がい者手帳、団体の詳細あり。
駐車場=なし
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交通アクセス
| 電車 |
JR中央線、メトロ丸ノ内線 『荻窪』駅南口より徒歩15分 |
| バス |
関東バス 荻窪駅 南口のりば1 荻51シャトレール荻窪行き
『特養ホームおぎくぼ紫苑』下車 徒歩5分 |
グリーンスローモビリティ 荻窪駅西口~荻外荘公園
乗車6分、下車すぐ |
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近衛文麿の旧宅「荻外荘」
   
| 荻外荘は、東京帝国大学医学部教授にして大正天皇の侍医頭も務めた医学者・入澤達吉の別邸「楓荻荘」として、入澤の義弟であった建築家・伊東忠太の設計により、昭和2年(1927)に建てられました。政治家・近衛文麿に譲渡されたのは昭和12年(1937)のことでした。「荻外荘」の名は、近衛の後見人であった元老の西園寺公望(さいおんじ
きんもち)が命名したものです。昭和戦前期の政治の転換点となる重要な会談が数多く行われた場所として、平成28年(2016)3月に国の史跡に指定されました。 |
荻外荘の歴史
| 1927 S2年 |
12月 |
入澤達吉の荻窪別邸として創建 |
| 1937 S12年 |
6月
11月 |
第一次近衛内閣成立(1939年1月総辞職)
近衛文麿に譲渡される |
| 1940 S15年 |
7月 |
荻窪会談が行われる
第二次近衛内閣成立(1941年7月総辞職) |
| 1941 S16年 |
7月
10月
12月 |
第三次近衛内閣成立(1941年10月総辞職)
荻外荘会談が行われる
太平洋戦争開戦 |
| 1945 S20年 |
8月
12月 |
終戦
近衛文麿が荻外荘書斎で自決 |
| 1947 S22年 |
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吉田茂が仮住まいとする(~1948年) |
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玄関
   
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応接室
   
| 中国風の意匠でまとめられた部屋で、床には龍の敷瓦があり、天井には龍が描かれた4枚の天井画が張られています。 |
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応接室
   
| 漢詩を趣味とした入江達吉と、アジアの要素を設計に取り入れた伊東忠太の意向が反映された中国風の部屋で床には龍の敷瓦、天井には龍図が配されています。 |
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応接室の掛け軸
   
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天井の龍図
   
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尚武太鼓(しょうぶだいこ)
   
この太鼓は、第二次近衛内閣の基本方針を決定した荻窪会議(昭和15年7月19日)当日の正午に、日本太鼓工業会から近衛文麿に贈られたものです。
後日行われた新大臣の記者発表では、荻外荘に集まっている報道陣を集めるために、それまで使用されていた拍子木に代わり、玄関車寄せに置かれたこの太鼓が打ち鳴らされました。
同年10月には、当時の警察署長による署員の士気高揚の願いを受け、杉並警察署に譲り渡されました。胴部「尚武 文麿」の文字は、その後、筆で書かれた文麿直筆の文字を写し取り、刻んだものです。
太鼓名はこの文字が由来となっています。
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荻外荘の扁額
   
| 荻外荘の名付け親となった西園寺公望の筆跡による扁額。 |
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展示されていた写真 近衛文麿
   
| 爵位辞退を語る 近衛文麿 (戦後の1945年10月に申し出る) |
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展示写真 吉田 茂
   
| 荻外荘を散歩する 吉田 茂 元首相 |
| 吉田 茂は、第一次吉田内閣総辞職後の1947年7月から約1年間、荻外荘の一部を間借りしていました。(1948年5月から第2次吉田内閣が発足、以後第
5次吉田内閣総辞職までの約 6年2ヶ月もの間、吉田が連続して総理を務めています。) |
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来客用手洗
  
| 創建された昭和2年(1927)と同時代の洋式便器を参考に復原したそうです。 |
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客間
   
| 第二次近衛内閣組閣時の昭和15年(1940)7月19日に行われた「荻窪会談」をはじめ、戦前期の重要な会議が行われた部屋です。 |
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広縁
   
| 次の間から客間、食堂にかけて広縁が設けられていて、ガラス戸には伊東忠太の特徴的な意匠が施されています。 |
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書斎
   
| 昭和20年(1945)12月16日早朝、近衛はこの部屋で自決しました。その後も改変されること無く、自決時の姿を居間にとどめています。 |
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書斎
   
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食堂の壁
   
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| 食堂にあった大型モニターで、荻外荘に関する動画が公開されていますが、撮影禁止のため、そしてそれを鑑賞する大勢の人々が映り込まないよう、配慮しながら撮影しました。 |
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食堂
   
| 近衛文麿は昭和15年(1940)7月19日の荻窪会議を客間で行った後、この場所で出席者をもてなしたそうです。 |
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食堂の床
   
| この邸宅を建てた入澤達吉は、主に来客用の食堂として使用しました。 |
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廊下
   
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茶の間
   
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2階建ての蔵
   
昭和13年(1938)に建てられた蔵で、近衛住居期に使用されていた生活用具をはじめ、漆工品、書画などが保管されていました。
写真左に近衛の大礼服が展示されています。
大礼服は、明治初期から昭和戦前期にかけて着用された、華やかな金モール刺繍が見られる国の最高礼服です。着用者は皇族・華族・官僚・有位者で、それぞれ異なる大礼服の形式が定められ、華族の用いる有爵者大礼服には、爵位別の色分けがありました。
公爵であった近衛文麿は、襟と袖が、紫色の有爵者大礼服を着用しました。近衛の大礼服は肩章の総(ふさ)の細かさが特徴です。 |
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別棟前の庭
   
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別棟
   
昭和13年(1938)に、近衛文麿の長男である文隆の名義で母千代子の隠居のために建てたと言われています。千代子は別棟を使用しなかったため、大学留学を終えアメリカから帰国した文孝が一時期居住しました。
帰国後の文隆は、父・文麿の秘書官を務めましたが、昭和15年(1940)に陸軍に召集され、満州に赴任します。終戦後はソ連軍の捕虜となり、昭和31年(1956)に抑留先のシベリアで死去しました。
シベリア抑留の文孝の手紙には、帰国後は荻外荘に戻りたい旨が書かれているなど、文隆自身も荻外荘の特別な思い入れがあったようです。また荻外荘には、アメリカ留学期に使用した旅行鞄やゴルフシューズ、優勝トロフィーといった、文隆ゆかりの品が多数残されていました。 |
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別棟で開催されていた
荻窪三庭園 アーティストインレジデンス 成果発表展
   
荻窪三庭園の指定管理者である虎屋工房(株式会社虎玄=和菓子で有名な虎屋の系列)がスポンサーとなって、3つの庭園各々から着想を得てアーティストが創作をおこなう企画「荻窪三庭園アーティスト・イン・レジデンス」で制作された絵画が展示されていました。
2025年度のアーティストに選ばれた渋田 薫は、「音楽は眠っていた風景を呼び覚ます」とのコンセプトのもと、音楽評論家・太田黒元雄、政治家・近衛文麿、俳人・角川源義の各々がかつて愛した旋律と、庭園の風景をシンクロさせた絵画群を制作しました。
荻外荘には、冬の庭に注ぐ太陽の輝きと、かつて近衛文麿が聞いていた ドビュッシーの旋律とを重ねてインスピレーションを得た絵画が別棟に数枚展示されていました。
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荻窪三庭園
大田黒公園 2008年訪問
角川庭園 2019年訪問 |

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ひな壇飾り
   
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写真20番の居間
反対の入り口から見る。
   
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居間
   
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荻外荘の模型
   
復原後のすがた
近衛文麿は、昭和12年(1937)から自決する昭和20年(1945)まで荻外荘に居住しました。史跡整備により、荻外荘は近衛文麿が住んでいた当時のすがたに復原されました。
近衛は荻外荘の取得後、度重なる増改築を行いました。昭和13年(1938)に、別棟と蔵を増築したのにはじまり、昭和18年(1943)頃には大規模な改修をし、天井の高いフローリング敷であった寝室と書斎は和室となりました。 |
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