n032-3 中野長者 多宝山 成願寺(じょうがんじ)

東京都(Tokyo-To)
13/06/09 Sun.


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♪「Solace」S.Joplin
ピアノ バージョンです♪
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成願寺 山門


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No.n032-3 中野長者 多宝山成願寺
No.n032-3
Tahouzan Johgan-ji
Tokyo-To /Beautiful Japan
Photo20pieces/GreenSeason
♪=ソラス
◆16羅漢様
◆中野長者鈴木九郎
◆鍋島家の墓所
◇寺
出かけませんか?CandyBox
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成願寺 洗心閣


所在地:東京都中野区本町2-26-6
TEL:03-3372-2711 FAX:03-3372-2774
山号:多宝山

最寄駅:
地下鉄=丸の内線・大江戸線 「中野坂上」駅下車
丸の内線側1番出口 渋谷方面へ徒歩3分







大香炉と香炉堂
平成8年、本堂前に大香炉と総檜造り二重屋根の香炉堂が完成

曹洞宗寺院の成願寺は、多宝山と号し、永享10年(1438)小田原最乗寺第5世春屋宗能禅師の教えを受けた中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現、西新宿熊野神社)の敷地内に創建しました。中世には正観寺と称していましたが、江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称しました。天正19年(1591年)に徳川家康により武蔵太田庄成田に5石の寺領寄進を受け、四代将軍家綱以降5石の朱印状を受けた御朱印寺でした。東京三十三観音霊場18番札所です。







中野長者の寺 多宝山
成願寺本堂
成願寺は、永享10年(1438)小田原最乗寺第5世春屋宗能禅師の教えを受けた中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現、西新宿熊野神社)の敷地内に創建しました。中世には正観寺と称していましたが、江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称しました。天正19年(1591年)に徳川家康により武蔵太田庄成田に5石の寺領寄進を受け、四代将軍家綱以降5石の朱印状を受けた御朱印寺でした。










多宝山成願寺の本山は、
道元禅師さまがひらかれた福井県永平寺と、
瑩山禅師さまがひらかれた横浜市總持寺です。
ということで
当「でかけませんか?」で訪問した
2012年5月 曹洞宗 大雄山 最乗寺
2003年11月 曹洞宗 本山 永平寺

以下後日HP作成予定ですが、写真のみご覧いただけます。
2015年2月 ブログお出かけ備忘メモより 総持寺






















十六羅漢
境内のあちこちに16人の羅漢さんの石像がありました。
羅漢とは尊敬を受ける聖者のこと
詳しくは、阿羅漢といいます。もとは「アルハト」または「アルハン」といい、「尊敬を 受けるに値する聖者」という意味の尊称です。
古代インドの「アルハト」たちは、世俗の欲望を捨てて修行し、神々の世界に近づいた者でした。そ して、人々の供物を受けて神々の恵みをもたらす者とされ、漢訳では「応供(供養を受ける者)」ともい います。
もっと知りたい方は〈成願寺公式サイト〉で




羅漢様







羅漢様







羅漢様







羅漢様







羅漢様







六地蔵菩薩
命あるものは死後に六道という六つの世界のどこかに生まれると伝えられており、それぞれの世界で地蔵菩薩は人々を守護するとされています。
大定智悲地蔵(金剛願地蔵)・・・・地獄道
大徳清浄地蔵(金剛宝地蔵)・・・・餓鬼道
大光明地蔵 (金剛悲地蔵)・・・・畜生道
清浄無垢地蔵(金剛幢地蔵)・・・・修羅道
大清浄地蔵 (放光地蔵)・・・・・・人間道
大堅固地蔵 (預天賀地蔵)・・・・・・天道













中野長者物語
 600年ほど昔のこと、鈴木九郎という貧しい人が馬を育てていました。痩せた馬を売りに行く途中、浅草の観音様にこんな御願いをしました。
「観音様、馬がよい値で売れますように。馬が売れて、そのお金の中に『大観通宝』が混ざっていたら、全部観音様に差し上げます。」・・・
 九郎が馬市に行くと、馬は思ったより高く売れました。
これは観音さまのおかげだ・・と大喜びしましたが、売上金を見るとみんな大観通宝でした。九郎は迷いましたが、『お金はしっかり働いて手に入れなければならない。』と言うことを観音様に教えられたのだと思い、約束を守り観音様に全部差し上げました。その後九郎はしっかり働き、中野長者といわれるほどのお金持ちになりました。
 しかし思わぬ不幸がやってきて、一人娘が病気で亡くなりました。九郎は深く悲しみ、お坊さんになり、家もお寺に作り替えました。それが成願寺の始まりだそうです。

幕末に活躍した新撰組の近藤勇も、家族を成願寺に
あずけていたという記録があるそうです。





大観通宝のマークのついた雨水鉢防火用水?







鍋島家の墓所
 成願寺には、大名・蓮池鍋島家の墓所があります。
中野在来の寺院で大名の墓所馬あるのはここだけです。
 蓮池(佐賀市東部)の鍋島家は、直澄が寛永16年(1639)
52,600石を与えられ分家したのにはじまります。
 墓域に入ると10基の墓石が立ち並んでいます。下前の自然石が4代藩主・直恒の供養碑、3番根の四角いものが墓石です。銘文によれば、直恒は、寛延2年(1749)に麻布龍土町[[港区]の藩邸で病死し、、衾(ふすま)村[目黒区]に葬られましたが、のちその墓は成願寺に移されました。
 他の8基の墓は、2代直之・8代直与・9代直紀の子供たちのものです。
 また、墓地の右手の奥に鍋島地蔵と呼ばれる地蔵姿の墓碑があり「眞如院殿一幻妙覚童女之霊」の法名が刻まれています。
  昭和56年3月      中野区教育委員会




大達磨絵

莫妄想(まくもうぞう)・・・
意味は「周りの物事にとらわれたり、妄想をたくましくして、
真実を見誤ることなかれ
(つまらないことを考えずに黙って座れ)だそうです。




不動明王




山手通り 環状6号線

円柱には・・・右掘の内/向定はし
角柱には・・・第十八番霊場   
と彫られています。


    本堂の説明で、鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社
(現、西新宿熊野神社)の敷地内に創建したとあるので、
この後、十二社(じゅうにそう)を訪ねてみることにします。



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お気づきのこと等がございましたら
ご一報ください。
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立札・ウィキペディアを参考にしました。


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